「いってらっしゃい」カテゴリーアーカイブ

[3/19] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「そろそろ春休みの季節ですね。
 お子さんやお孫さんを連れて
 あさっての21日、春分の日とか週末に
 動物園に行かれる予定を立ててらっしゃる方も
 いらっしゃるかもしれませんね。
 そこで、今週は動物園のお話をしたいと思います。」

まず1日目の今日は、
世界で一番古い動物園のお話をします。

オーストリアのウィーンにあるシェーンブルン動物園が
今も残っている世界で一番古い動物園です。
この動物園は歴史的建物のシェーンブルン宮殿の中にあります。

ちなみにシェーンというのは「美しい」という意味で、
ブルンは「泉」の意味なんですって。
だから、美しい泉の宮殿の中にある動物園です。

このシェーンブルン宮殿はハプスブルク家の建物で
17世紀の終わりに建てられました。
宮殿や庭園を含むすべての施設は1996年に
ユネスコ世界文化遺産に指定されました。

この宮殿の庭園にあるシェーンブルン動物園は
1752年に建てられました。

時の皇帝フランツは、
ヨーロッパ各国から送られたり、
インドやアフリカの調査隊が連れて帰ってきた
動物たちを集めてこの動物園を作りました。

皇帝フランツが亡くなった後は女帝のマリア・テレジアが
この動物園の主人になるんですけれども、
普通、動物園は動物のおりを
人間が歩きながら見てまわりますよね。

でも、このシェーンブルン動物園は
中央のパビリオンから周囲にある動物のおりを眺める
という構造になっているそうです。

「だからイメージとしてはあれでしょうね、
 ドーナツの中の円の中に人間がいて
 まわりが動物園だってことなんだと思うんですけれども」

動物は世界中から集められたもので、
その動物たちを世界の中心を意味する
パビリオンから見渡すという感じで。

このマリア・テレジアですけれども、
毎朝パビリオンで朝食をとりながら
動物たちを眺めるのが日課だったそうです。

現在、この動物園は市民にも開放されていて、
今でも年間100万人以上の方が訪れるそうです。
マリア・テレジアが朝食をとっていたパビリオンは
今はレストランになっているとのことです。

「ねぇ、なんか贅沢な朝食ですよね。
 私も動物が好きなので、こんな、
 朝食をとりながら動物が眺められるなんて、
 なんて素敵な動物園だろうと思います。」

<シェーンブルン宮殿(ウィキペディア)>

[3/16] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「山が多い日本では、苦労を重ねて
 トンネルを掘る技術を取得しました。
 そんな中、のみと金槌だけで30年かけて
 トンネルを掘った方がいらっしゃいます。
 今日はそのお話です。」

大分県の耶馬渓(やばけい)というところには
「青の洞門」と呼ばれるトンネルがあります。
その長さは342m。

江戸時代後半、禅海和尚という方が
旅の途中でこの地を訪れました。

その当時ここは断崖絶壁で、
壁に打ち付けられたくさびを頼りに
岩伝いに渡るしか反対側には行けませんでした。

ところが、途中で落ちて亡くなる人が後をたたず、
それを知った禅海和尚は
トンネルを掘れば安心してみんなが向こうに行ける
ということで、のみと金槌で堀り始めました。

でも、人間一人の力で掘れる距離というのは
たかが知れていますよね。
しかも相手は固い岩です。

最初は協力してくれた村の人たちも
いつしか諦めて離れていったそうです。
それでも禅海和尚は一心不乱に堀り続けました。
人々を救いたい、その一心で岩を掘り続けていきました。

やがて禅海和尚の思いは通じ、
最後は再び村の人たちの協力もあって
ついにトンネルが完成したのです。

実に30年もの月日が流れていました。
トンネルを掘り始めた頃
禅海和尚は49歳だったそうですから、
完成したときは80歳目前だったんですね。

この青の洞門の完成によって、
もう命を落とすことなく安心して
みんなが旅を続けることができるようになりました。

このお話をもとにして書かれたのが
菊池寛の代表小説「恩讐の彼方に」です。
この小説の中でこの「青の洞門」という名前が
命名されたんだそうです。
小説ができてからこう呼ばれるようになったんですね。

旅の途中でたまたま立ち寄った大分で
トンネルを作った禅海和尚ですけれども、
この村で余生をお過ごしになって
今でも耶馬渓には掘るために使ったのみとか金槌が
保存されて展示されているそうです。

そして、禅海和尚のお墓にはいつも
お花やお線香が供えられているということです。

「ねぇ、この方ほんとにいい和尚さんですよね。
 最初ね、禅海和尚が掘られたトンネルっていうのは
 人だけがかろうじて通れるトンネルだったんですけれども、
 今では新しくまた掘りなおされて車も通れるような
 大きなトンネルになったんだそうですよ。」

<青の洞門(ウィキペディア)>

<青の洞門(よかとこBY)>

[3/15] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日までは世界で一番長いトンネルの
 お話をしてきましたけれども、
 逆に短いトンネルっていったいどれぐらいの
 長さなのかなと思いました。
 今日はそのお話をします。」

世界で一番短いトンネルの記録っていうのは
実は残念ながらわからなかったんですけれども、
日本で一番短いトンネルの存在はわかりました。

それは群馬県内のJR吾妻線の
岩島駅と川原湯温泉駅の間にある
樽沢トンネルというトンネルで、
長さはわずか7.2mだそうです。

全長53.9kmもある青函トンネルは
電車で通過するのに40分もかかるそうですが、
この樽沢トンネルは電車でわずか0.5秒、
1秒もかからないそうです。

「こんなの気抜いているとあっという間ですね。
 ビュン!、あっ、今の黒いの何だったんだろう?
 っていう感じだと思うんですけれども(笑)」

どうしてこんなに短いトンネルが誕生したのかと言いますと、
この樽沢トンネルが作られたのは戦時中で
もともとはトンネルを作ろうとしたわけではなくて、
岩の出っ張りを切り崩そうとしたところ
そのための資材が不足していて、
「じゃ、穴を開けちゃおうか」
ということで諦めてトンネルにしたのだそうです。

長いのから短いのまで今や世界に誇れる
トンネル技術を持った日本ですけれども、
一番最初に作った鉄道のトンネルというのは
明治3年、大阪と神戸の間を走る鉄道の建設が
始まったときに作ったものなんだそうです。

六甲山の麓にはまわりの土地よりも
高いところを流れている川があって、
それは3本川があるんですけれども、
そこにトンネルを通そうということで
川の流れを別の場所に移して、
川の下にトンネルを作ってから
川を元の流れに戻したりして、
3本の川に対して3つのトンネルを作ったのだそうです。

そのうちの一番最初にできた石屋川の下を
通ったトンネルというのは長さは61mなんだそうです。
そして、同じように芦屋川と住吉川の下にも
トンネルを作ったのだそうですけれども、
大正時代になってそのトンネルは使われなくなって
今はもう1つも残っていないそうなんです。

「私もそこに住んでいたんですけれども、
 その川の下にトンネルがあったことなんて
 今日はじめて知ったので、ほんとに。
 もう今は普通に橋が通ってますね。
 それでね、世界で一番トンネルの数って
 日本が多いんじゃないかなと
 一瞬思ったんですけれども、
 実は一番多いのは中国なんですって。
 国土が広いですからね。
 山も多そうですし、トンネル多いんですね。」

<日本一短いトンネル~樽沢トンネル~>

↑ ビュン!と通過する映像も見られますよ~ (^o^)/

[3/14] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日、世界で一番長い鉄道のトンネルは
 青函トンネルだというお話をしました。
 でも、青函トンネルは海底を通るトンネルの中では
 世界で一番ということなんですね。
 今日は陸上だけを走るトンネルのお話をしたいと思います。」

日本には陸上だけの鉄道トンネルで
世界最長記録を持つトンネルがあります。
それは、2年前に貫通した青森県の
八甲田トンネルというトンネルです。

このトンネルは、4年後の
2011年の春に完成を目指す東北新幹線の
八戸-新青森間を通る約26.5kmのトンネルです。
6年半の年月を経て無事に貫通しました。
現在は線路を敷く作業が進められているそうです。

でも、この記録も実は長くは続かないそうです。
どうしてかと言いますと、
スイスでアルプス山脈に陸上を走る世界最長の
鉄道トンネルというのを建設中なのだそうです。

ちなみに、車が通るトンネルで世界一というのは
ノルウェーのラウダールトンネルで、
全長約24.5kmもあるそうです。

そして、車の通るトンネルで日本の最長というのは
関越自動車道の関越トンネルで全長約11.6km。

「24kmとか11kmとかって
 何分くらい走っているんでしょうね。
 以前ね、四国の高知から香川県に車で向かう
 高速があるんですけれども、
 そこにトンネルが走っているんですよ。
 その山間をひたすら走る長いトンネル、
 そこを走ったときに
 『このトンネル長いなぁ~』
 って思いながら走ったんですね。
 でも、あのトンネルで日本一じゃないってことは
 24kmとか11kmってすごい長いってことですし、
 そこを走ったときにね、
 このトンネルってどうやって掘っているんだろうとか、
 どれくらいの人手がいるんだろうとか、
 ほんとに興味を持ったんですよね。
 すごいんですよ、この四国のトンネル。
 関越トンネルもすごいと思うんですけど、
 私はこの四国のトンネルに感激したので。
 寒風山トンネルって名前みたいですね。
 本当にすごい大変なお仕事なんだろうなって
 本当に思っているんです。」

杏樹さんが感激された様子が伝わってきますね。 (*^_^*)

<トンネルランキング>

[3/13] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今から19年前、1988年の今日、
 全長約53.9kmという世界最長の鉄道トンネル、
 青函トンネルが開業しました。
 そこで、今日3月13日を
 青函トンネル開業記念日としたそうです。
 今日は青函トンネルのお話をしたいと思います。」

青函トンネルは津軽海峡の地下100mを通って
青森と北海道を鉄道で結んでいます。
「はつかり」、「海峡」、「北斗星」、
「トワイライトエクスプレス」などの
人気列車や貨物列車が走っています。

工事が始まったのは1961年で
開業したのが1988年ですから
27年もの年数がかかりました。

莫大な建設費や北海道新幹線の予定の見直しなど
たくさんの問題を抱えていたので
工事中止の声も上がったそうですが、
最終的には無事開通して19年前の今日開業できました。

青函トンネルはその半分近く、
約23kmが海の底を通っていて、
トンネルの中には2つ駅があります。

1つは本州側にある竜飛(たっぴ)海底駅で、
海底135mのところにあるのだそうです。
駅と言いましても、事前に見学コースを予約して
指定された列車に乗らないと降りることはできないそうです。

見学コースはこの時期休業中ですけれども、
ゴールデン・ウィーク前には再開するそうですので、
興味がある方はぜひ予約して行ってみてはいかがでしょうか。

ケーブルカーで地上に出て、
トンネル記念館とか竜飛岬を見学して
そしてまた地下に戻って列車に乗るそうです。
なんか楽しそうですね。

もう1つの駅は北海道側にある吉岡海底駅なのですが、
こちらは海底140mのところにあります。
こちらも見学コースがあったそうですけれども、
北海道新幹線の工事のために
去年の8月を最後に休止になりました。

「一度ね、青函トンネルを通ってみたいと
 かねがね思っているんですよ。
 あの~、ありますよね、
 上野駅から札幌に向かう電車ね。
 この電車に一度乗って北海道に行ってみたい、
 これ夢なんですけれども、
 ねぇ、行きたい、行きたいなぁ~。
 あと、本州と九州をつないでいる
 関門トンネルってありますけれども、
 あれは全長3.4kmなんですって。
 だから青函トンネルはかなり長いってことですよ。
 そう考えてみるとね、面白いです。」

私もいつか青函トンネルを通ってみたいです。 (*^_^*)

<青函トンネル(ウィキペディア)>

<竜飛海底駅(ウィキペディア)>

<吉岡海底駅(ウィキペディア)>

[3/12] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』
 これはノーベル賞作家、川端康成の小説
 『雪国』の有名な冒頭の一節です。
 まさにトンネルの向こうには別世界がありました。
 そこで、今週はトンネルのお話をしたいと思います。」

川端康成の小説「雪国」に登場するトンネルは
上越線の群馬県と新潟県の間にある清水トンネルのことです。

このトンネルの手前には案内板がありまして、

「このトンネルは大正11年に着工され、
 9年の長い歳月を費やし昭和6年に完成した。
 当時は日本最長のトンネルであった。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 夜の底が白くなった。

 雪国より」

と書かれているそうです。

この案内板に書かれているように
清水トンネルは開通まで9年かかりました。

昭和6年9月1日、全長9702mという
当時の日本最長のトンネルが誕生しました。
この長さは当時の世界第9位の記録だったそうですので
本当に長いトンネルだったんですね。

群馬と新潟の県境には谷川岳という大きな山があり、
その山の影響で冬は新潟県側はたくさんの雪が降り、
逆に群馬県側は雪は降らないものの
冷たい北風が吹き荒れています。

川端康成が清水トンネルを通ったのは
開通から3年後の冬だったのですが、
トンネルを抜けた瞬間にがらりと変わる世界には
本当に驚いて感動したんだそうです。

その後、昭和42年には
全長13490mの新清水トンネルができて、
そして、昭和57年には
全長22221mの大清水トンネルというのが開通して
新潟と東京はぐっと近くなりました。

「一番最初にお話した清水トンネルですけれども、
 現在は上り列車専用のトンネルになりまして、
 大清水トンネルは上越新幹線専用の
 トンネルなんだそうです。
 もう22221mとか言われても
 想像つかないぐらいすごいですよね。
 22kmってことですよね。
 もう想像つきません・・・(笑)」

<「雪国」について(ウィキペディア)>

<清水トンネルについて(ウィキペディア)>

[3/9] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日ご紹介しました『旅立ちの日に』は、
 全国の学校で歌われる卒業式の定番ソングです。
 そしてもう1曲、この歌も卒業式で歌われています。
 今日はそのお話です。」

~ ♪ 「大地讃頌」が流れてきます ~

その歌とは、この「大地讃頌」(だいちさんしょう)です。

作詞は詩人で翻訳家の大木惇夫さん、
そして作曲は作曲家の佐藤眞さんです。

もともとは混声合唱とオーケストラのための
合唱曲「土の歌」の最終の第7楽章として
昭和37年に作られました。

第1楽章「農夫と土」では土への感謝が描かれて、
最後を飾る第7楽章、この「大地讃頌」では
大地への限りない祈りが歌詞に込められています。

もともと7つある楽章のうちの1つなのですが、
この「大地讃頌」は独立して演奏される機会が多く、
1980年代以降はいろいろな音楽の本にも登場しています。

合唱曲ですので、よく中学や高校の
合唱コンクールで歌われているそうですけれども、
それがいつの間にか卒業式の定番ソングとして
全国各地の学校で歌われるようになりました。

「ということで、今週は卒業式に歌われる歌を
 お送りしてまいりましたけれども、
 どうでしょうか、みなさん、
 もしご自身が歌われた思い出のおありの方は
 メロディーを聴いて「はっ!」ってその瞬間に戻って
 懐かしんでいただけたのではないでしょうか?
 こういう卒業式にまつわる歌たちっていうのは
 きっとこれからも新しく生まれてくる歌とともにね、
 今後何世代にも歌い継がれていって
 輝き続けていって欲しいなぁって、
 ほんとにそういうふうに思いました。」

<「大地讃頌」について(ウィキペディア)>

<「大地讃頌」のメロディーを聴いてみる>

[3/8] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今から16年前、ある中学校の
 校長先生と音楽の先生によって
 卒業生におくる歌が作られました。
 その歌はやがて全国の学校で歌われる
 卒業ソングになりました。
 今日はそのお話をします。」

~ ♪ 「旅立ちの日に」が流れてきます ~

その卒業ソングとは「旅立ちの日に」という曲です。

埼玉県の秩父にある影森中学校は、
1990年当時は非行にはしる生徒さんが
たくさんいたそうです。
クラスのまとまりがなく、生徒の服装も荒れる中
当時の小嶋登校長先生は考えました。

大きな声で歌える学校にしよう、
歌声の響く学校にしよう、
荒れた生徒たちの心を取り戻そうと
影森中学校では合唱の機会が増えていきました。

最初は小嶋校長先生の思いというのは
なかなか生徒さんたちに伝わりませんでした。
でも、少しずつですけれども
生徒さんたちの心には変化が見られてきて、
ついには校内に歌声が響くようになったんだそうです。

そして迎えた91年の3月、
定年を控えた小嶋校長先生は
卒業生を送る会の出し物として
先生全員で歌う歌を作りました。
詞は一晩で書き上げて、次の日には
音楽の坂本浩美先生が曲をつけました。

完成したこの「旅立ちの日に」を聴いた卒業生は感動して、
この年定年を迎えた小嶋先生は
学校を去っていらっしゃいました。

でも、この歌は思い出とともに語り継がれて、
翌92年には卒業シーズンを前に
音楽雑誌が譜面を載せたんだそうです。

それによってこの「旅立ちの日に」という曲は
全国の学校で演奏されるようになって、
卒業生を送るためではなくて
卒業生自身が歌う歌になりました。

そして昨年2月、影森中学校には
この「旅立ちの日に」の歌碑が完成したんだそうです。

「卒業生を送る会として先生方全員で
 卒業生のために歌ってくれる学校っていいですね。
 なんかあったかいなぁって思います。
 小嶋校長先生はきっととても温かい方なんでしょうね。」

<「旅立ちの日に」について(ウィキペディア)>

<「旅立ちの日に」のメロディーを聴いてみる>

[3/7] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「『蛍の光』、そして『仰げば尊し』は
 卒業式の定番ソングですけれども、
 他にも古くから卒業の歌があります。
 今日はそのお話です。」

~ ♪ 「卒業の歌」が流れてきます ~

今聞いていただいているのは
「卒業の歌」という名前の曲です。
昭和8年、当時の尋常小学校の
6年生用の音楽の教科書に登場しました。

この「卒業の歌」という曲ですけれども、
作詞作曲者が不詳でわからないそうです。

「賛美歌っぽいきれいな曲調ですね」

そしてこのとき、5年生用の音楽の教科書には
この歌が登場しました。

題名は「卒業生を送る歌」です。

~ ♪ 「卒業生を送る歌」が流れてきます ~

「今日おかけしているこの2曲は、
 昭和初期の曲ということもあって
 レコードなんですけれども、
 こういう古き良き唱歌、この貴重な音源をね、
 これから先もずっと残し続けて欲しいなって言いますか
 忘れ去られないで欲しいなっていうふうに思いました。」

今日は歌が長めに流れましたので、
お話はいつもより短かったです。

<「卒業の歌」の歌詞はこちらです>

<「卒業生を送る歌」の歌詞はこちらです>

[3/6] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日お話した『蛍の光』と並んで
 よく歌われるのが『仰げば尊し』です。
 今日はそのお話です。」

~ ♪ 「仰げば尊し」が流れてきます ~

「蛍の光」が日本に登場したのは
明治14年のことでしたけれども、
この「仰げば尊し」はそれから3年後、
明治17年のことです。

翌年には、現在の東京藝術大学の卒業生を送る演奏会で
「仰げば尊し」が歌われました。

でも、この歌詞になるまでには
何人もの学者や作詞家の方々が試行錯誤して
かなりの時間がかかったんだそうです。

どうしてかと言いますと、先生のことを無理に
「恩師」と言わせるのは果たしていかがなものか
という議論があったからなんだそうです。

ここ数年、卒業式で生徒に「仰げば尊し」を歌わせるのは
学校側の強制だということで、
歌うことを拒否している学校が増えているんだそうです。

「仰げば尊し」が学校の卒業式で歌われないというのは
なんとなく寂しいですけれども、
先生と生徒さんの心が離れてきているからなんでしょうか。

「でも、学校ってたぶん社会に出る前の
 一番最初の同世代とか目上目下の他人との心の交流を
 ある意味学ぶ場所でもありますからね。
 こういう現象っていうのは寂しいなって
 ちょっと思うんですけれども、
 なんか純粋に『仰げば尊し』を歌えるような
 世の中になるといいですよね。」

<「仰げば尊し」について(ウィキペディア)>

<「仰げば尊し」のメロディーを聴いてみる>