[1/31] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「雪と氷の白い世界、氷の大陸、南極なんですけれども、
 この南極にも火山があるんだそうですね。
 今日はそのお話をします。」

南極で初めて火山を発見したのは
ジェームス・ロスというイギリスの軍人で、探検家です。

1841年の1月、南極大陸で火山を発見したロスさんは、
その火山の名前をそのときに乗っていた船の名前から
「エレバス」とつけました。

このとき山頂付近では
真っ赤な溶岩が流れていたのだそうです。

その後も南極の火山が次々と発見されて、
現在では10以上の火山が南極にはあります。

去年の今頃、南極にある温泉のお話を
したと思うんですけれども、
南極半島の沖合いにあるデセプション島というところに
温泉があるお話をしました。

この島は火山の熱で地面が温められているので、
雪とか氷というのはほとんどないそうです。

この海岸部分の砂浜を掘りますと
地熱で温められた海水がしみ出てきて、
露天風呂ができるということなのです。

この南極大陸の内陸部で3年前、
氷床を覆っている雪が広い範囲でとけている
ということをNASAが明らかにしました。

その範囲というのは
40万平方キロメートルにも及び、
カリフォルニア州の面積と
ほぼ同じぐらいの広さなのだそうです。

これはどういうことなのかといいますと、
その氷床の上の雪がとけて、
その雪がとける範囲がどんどん広がっていくと
氷床にとけた水がしみこんでいって、
例えば亀裂を作ったりして、
氷床自体が滑りだして海に押出されてしまう
危険性があるということです。

もし氷床が滑りだして海に押出されてしまったら
確実にその氷たちは解けていってしまう
という危険があるということで、観測チームは
地球温暖化の影響とみられる最初の兆候であって、
長期観測が必要だというふうに言っているそうです。

「なんか考えると考えるだけ怖いというか、
 考えなきゃいけないことですけれどもね。

 世界中がこうなんて言うんだろう、
 一つの国になってね、
 協力し合うことができたらなぁ、
 現状は変化していくんだろうけど
 防ぎようはないのか?!
 どうなんでしょうか、みなさん。」

<南極エレバス火山のページ>

<参考:2007年2月22日の『いってらっしゃい』>

[1/30] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今環境問題は世界共通の課題ですけれども、
 こうした環境問題でも南極は大きな役割を果たしています。
 今日はそのお話です。」

CO2、二酸化炭素の排出による地球温暖化問題、
開発や化学物質などによる環境破壊、
こうした環境汚染が問題になっている中、
南極は文明から遠く離れた場所にあるため
こうした汚染の影響はほんのわずかです。

こうした点から南極は地球に残された最後の原生地域で、
地球の歴史や謎を明らかにしてくれます。

ですから、南極の自然というのは
しっかりと保護してそのままの姿で将来に
引き継いでいくという必要がありますね。

南極の厚い氷、氷床の層には年代順に
火山灰、大気汚染物質、宇宙のチリなどが
積み重なっています。

また、地球が誕生した頃の大気そのものが
泡のかたちになっていたり、
大気の分子が特殊な結晶にかたちを変えて
封じ込められているのだそうです。

こうした点から南極の氷は
地球環境の変化を示すデータの宝庫なんですね。

そしてもう一つ、南極の氷を研究することによって
環境の変化もわかってきます。

例えば、南極の氷の面積とか体積の変化であったり、
氷床の動きなどが環境の変化の鍵を握っています。

しかし、現在この南極の氷床は
2万年前に比べて3分の1に減少していて、
地球の陸地面積の10%になってしまいました。

だから、昔は地球の陸地面積の
30%近く南極はあったということです。
2万年前ですけれども。

「なので、地球の温暖化は少しずつ進んできている
 ということがわかるんですけれども、
 もしかしたらね、地球全体の、
 地球自体の大きなバイオリズムというものが
 あるのかもしれませんけれども。

 それでもやっぱり人間が便利に生きることを
 追求するあまりに人が人の首を絞めているというか、
 世界的レベルでも個々のレベルでも
 本気に考えなきゃいけないんじゃないかなという、
 例えば、世界の国々が国益を考えるのではなくて、
 国々の人々が一地球人として暮らしていかなきゃ
 いけなくなってきたんじゃないのかなぁ
 って感じますけどね。
 いかがでしょうか?」

<南極の自然と環境保護>

<南極の環境問題>

[1/29] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今から51年前、1957年の今日、
 日本の南極観測隊が南極オングル島への上陸に成功して
 昭和基地を開設しました。
 それにちなみまして今日の1月29日は
 『昭和基地開設記念日』になりました。」

南極にはいろいろな国の基地があります。
それぞれの基地ではお互いに情報を交換しながら
宇宙や気象、生物などの調査をしています。

日本は南極に昭和基地、みずほ基地、あすか基地、
ドームふじ基地の4つの基地を持っています。

昭和基地は東オングル島にある観測基地で、
天体、気象、地球科学、生物学の観測を行っています。

昭和基地には58の建物、
貯水タンク、アンテナ施設など
たくさんの施設があります。

日本との通信方法ですけれども、
最初はモールス信号だったのですが、
衛星を使った回線で結ばれるようになると
電話機がまず使えるようになったのだそうです。

そして、2004年からは
インターネットもできるようになって、
さらに東京にある研究所とは4桁の内線番号を押せば
通じるようになったそうです。

「南極といえどもなんかこう身近な感じがしますよね」

そして、その昭和基地の隊員の方の中には
調理師さんも参加されていて、
1年分の食材やお酒を持ち込んで
焼きたてのパンとかフランス料理とか、
居酒屋さんのメニューとかお寿司とかラーメンなど
食卓を飾るのだそうです。

南極で観測を行うのは
夏の間の3ヶ月間南極に滞在する「夏隊」、
そして1年を通して南極に滞在する「越冬隊」で、
短い夏の間にさまざな仕事をされているということです。

「改めてこうやって考えますと、
 例えば越冬隊のみなさんだと1年通してね、
 南極に滞在している研究者の方たちが
 いらっしゃるっていうことですよね。

 その間家族とも1年間会えないわけですから、
 もうほんとに大変なお仕事していらっしゃるんだなって
 改めて感じましたけれども。

 でも、その方々が研究してくださってるおかげで
 地球に住んでいる私たちが助けられていることっていうのは
 たくさんあると思うので、
 時々『ありがたいな』なんて思いながら南極を思うっていう、
 いいことなのかなってちょっと思ったんですけれども。」

<昭和基地(ウィキペディア)>

<昭和基地WEBカメラ>

<南極観測のホームページ>

[1/28] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「氷の大陸と呼ばれているところといえば南極ですよね。
 同じ地球でも南極は本当に神秘的で
 まだまだ謎や科学で解明できないことがたくさんあります。
 そこで今週は南極のお話をしたいと思います。」

南極は地球の一番南側にあります。
日本は北半球に、南極は南半球にありますので
日本と南極では季節が反対になります。

南極では8月が冬、1月が夏になります。
なので、現在は南極は夏になりますね。

南極の氷の下には南極大陸という陸地があります。
陸地の上にある厚い氷を氷の床と書いて
「氷床」と言うんですけれども、
その氷の厚さというのは一番厚いところで
4000m以上もあるそうです。

南極大陸の面積は1205万平方キロメートル、
日本の33倍もあります。

この広い大陸に平均約2500mの厚さの氷、
さきほど言いました氷床があります。

富士山が3776mなので、
富士山よりも厚い氷が南極にはあるということです。

「スタッフ全員で軽く計算したところですね、
 この南極大陸の氷の重さ、計算してみたんです。

 27に0が15個、
 (27000000000000000)
 言葉で言うと2京7000兆トンもの
 重さがあるんですって。

 なので、これだけの重さがあるので
 南極大陸というのは氷で押さえつけられている状態。

 もしこの氷がですね、まぁないでしょうけれども
 全部溶けることがあったら
 今よりも海面が40m~70m上昇する
 というふうに考えられているそうです。

 もうそれぐらい大きな氷が
 南極大陸の上には乗っかっているということです。

 余談なんですけれども、
 南極と北極ではどちらが寒いと思われますか?

 答えは南極なんです。
 最低気温は-89.2℃。
 で、北極のほうは-71℃。
 十分寒いんですけれども南極のほうが寒い。

 この差は高さにあるんですね。
 平均的に2500mという高さがあるということで
 -89.2℃。

 考えたこともなかったですけれども、
 こういう地球規模のお話って
 とにかく単位が大きくて想像するしかないんですけど、
 想像すらできないぐらいの大きさで、
 なんかそこがね、興味をそそられるところだな
 なんて私は感じてるんですけれども。

 そんなわけで、今週は南極のお話をしていきます。」

<南極(ウィキペディア)>

<南極の氷、解けるペース加速>

[1/25] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「日本で缶詰を年間で一番消費しているのは
 沖縄なんだそうですね。
 沖縄の方はよくポークスパムをお料理に使われるそうで、
 その影響が多いんだそうですよ。
 おいしいですもんね、スパムね。
 缶詰が日本でも作られるようになってから
 130年以上になりますけれども、
 いろいろな缶詰が登場しています。
 今日は最近の缶詰事情のお話をします。」

数年前から缶詰のおでんが人気を呼んでいますよね。
このおでん缶を開発した会社が
最近中華そばとカレーうどんの缶詰を作ったそうです。

麺類ですから時間が経つと伸びてしまいますよね。
そこは研究を重ねてこんにゃくの麺を
使っているのだそうです。

さらにこの会社ではスープパスタまで
作ってしまったそうです。
同じくこんにゃくの麺を使っていて、
味がボンゴレ・ビアンコと完熟トマトとホワイトクリーム、
この3種類、すばらしいですね。

栃木のパン・アキモトさんというお店では
パンの缶詰を販売しているそうです。

開発のきっかけは、阪神大震災で被災地に
パンを救援物資として送ったところ
大変喜ばれたのだそうです。

被災地の人たちはカンパンよりも柔らかいパンが
食べたいのではないだろうかと思い立って、
焼きたての食感を残した保存食、非常食としての
パンの開発を始めたのだそうです。

このパンの缶詰というのは
1年から2年保存がきくそうです。

「確かに救援物資としてのパンの缶詰っていうのは
 かなりうれしかったんじゃないでしょうかね。

 味もね、いろいろあるんだそうでね、
 バター味、抹茶味、チョコクリーム味など
 全部で11種類もあるんですって。

 パンだと軽いじゃないですか。
 これは1缶100gということなんですけれども、
 大量に救援物資として送ることができますしね。

 もしかしたら、いざというときの
 食料になるということを考えると、
 例えば山登りの方とか、リュックに入れていっても
 いいかもしれませんしね。

 開けたらそのまま料理になっている缶詰っていうのって
 すごい、これもまた第2の革命というか、
 大きいんじゃないかなと思います。

 これを海外に持って行ったり、
 海外に住んでいる日本人にあげたりすると
 力をもらえるっていうかね、缶詰にね。
 改めて考えてみるのもいいかなってちょっと思います。
 そんなわけで今週1週間、
 缶詰のお話をさせていただきました。」

<おでん缶(ウィキペディア)>

<パンの缶詰>

[1/24] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「缶詰は世界では約1200種類、
 日本だけでも800種類以上が
 作られているんだそうです。
 すごい量ですね。
 缶詰の中には『これはどうやって作ったの?』
 って思うものも中にはありますけれども、
 今日はそのお話をしたいと思います。」

まずは、みかんの缶詰です。

缶詰のみかんは皮がむいてありますよね。
あれどうやってむいてあるのかと
思ったことありませんか?

まず、表側の厚い皮の部分は
専用の機械でむくそうです。

次に、水の中でゴム製などの弾力性のあるような
柔らかい素材でできたさくの間を通して、
一つずつバラバラに分けます、一房ずつ。

その後、一つ一つについているあの薄い皮ですけれども、
あれは酸やアルカリの液によって処理をされるそうです。

「大丈夫かしら?」って思ったみなさん、
食品衛生法においても
食品添加物に指定されているものですので、
水で洗うことで製品には絶対に残ったりしない
ということが条件とされていますのでご安心ください。

続いては、コンビーフの缶詰です。

コンビーフは牛肉を塩漬けした後に蒸してほぐして
調味料・香辛料などを混ぜたものを言うそうです。

こうしてほぐされた肉を缶に詰めて
加熱殺菌したのがコンビーフの缶詰です。

形が台形になっていますよね。
あれは詰めたときの形を保ったまま
取り出せるようにしてあるからなのだそうです。

開けるときに巻き取るようにして
キュッキュッキュッキュッキュッと
開けるのは中身がこぼれないように
するからなのだそうです。

「コンビーフの缶の開け方って難しくないですか?
 私はあれがね、緊張しながら毎回慎重に
 開けるんですけれども、すごくヘタでですね。

 あれで何度も手を切ったことがあるんですね。
 あれ開けるのが怖いんですけれども。
 もうちょっと開けやすくなると
 私はうれしいなぁって思うんですけどね。
 どうなんでしょうか。

 余談ですけれども、カニ缶には紙が入ってますよね。
 あれどうして入っているかってご存知ですか?

 あの紙って硫酸紙という紙なんですけれども、
 カニの身が缶の容器の鉄と反応して
 黒くなってしまうんですって。

 ところによって硫酸紙に触れてない部分が
 変色しちゃうこともありますけれども、
 それは何の問題もないので
 安心していただけるということなので、
 開けてみて『ちょっとこのカニ黒くない?』
 って思っても大丈夫なのでご安心ください。」

<缶詰はこうして作られる>

[1/23] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「缶詰といえばやはり気になるのが保存期間です。
 いったいどれぐらいを目安にしたらいいのでしょうか。」

缶詰は基本的に製造してから
常温でおよそ3年間保存できるそうです。

缶詰のフタには賞味期限を示す
年・月・日が記されています。

最初の2文字の数字は西暦の下2桁です。
例えば「08」となっていれば
今年の2008年を示しています。

その西暦を示す数字の次が月、
その次の数字は日にちです。

例えば、「080123」というふうに
書いてあった場合は2008年の1月23日、
今日までが賞味期限だというようなことになります。

去年は食品の賞味期限の偽装が
問題になってしまいましたけれども、
賞味期限というのはその日付までは
おいしく食べることができますよと
メーカーが保証した期限なんですね。

ところで、缶詰なんですけれども、
例えば賞味期限の日付が経過したからといって
すぐに食べられなくなってしまうということは
基本的にはないのだそうです。

その理由としましては、
缶詰は密封された後に加熱殺菌されて
食べ物が傷む原因になる微生物を排除してしまいます。
つまり、滅菌されているものが多いということです。

なので、保管中に新たな微生物が進入しない限りは
賞味期限の過ぎた後も缶を開けない限り
3年以降も長期保存できるということです。

ただ、おいしさという点で考えた場合は、
やっぱり賞味期限を過ぎてしまうと
味はもしかしたら変わっていってしまうかもしれない
ということですね。

さきほど缶詰は賞味期限の日付が経過したからといって
食べられなくなりませんよというふうに
言いましたけれども、例外はもちろんあります。

それは保存状態です。
例えば、暑い場所で保管していたりとか、
湿気の多いところで長い間保存していると
品質が低下したり、場合によっては
安全性が損なわれることもあるそうです。
そのへんはよく確認してください。

「ついついね、缶詰の保管場所ってだいたいなんかほら
 決まった場所にあるじゃないですか、キッチンの中でね。

 で、ずっと奥のほうなんかに入ってて安心してて、
 賞味期限が長いと思って気づいたら
 まぁずいぶん昔の缶詰だわなんてことがあるので、
 年に1回せめてね、ちょっと1回
 チェックしたほうがいいかもしれませんね。

 錆びてないかなとか、
 あっ、こんなものあったななんて
 チェックしていただけたらと思います。」

<フタに書いてある記号の読み方は?>

<賞味期限が切れた缶詰は食べられますか?>

[1/22] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日、缶詰は1804年に
 フランス人のアペールが原理を発明して、
 それがイギリスに渡って
 缶詰として製造されるようになった
 というお話をさせていただきました。
 それでは日本ではいつ頃缶詰が誕生したのでしょうか。」

日本で初めて缶詰が製造されたのは1871年、
明治4年と言われています。
アペールの発見から約70年後のことです。

長崎の外国語学校に勤務していた
松田雅典さんという方がいらっしゃいました。

ある日この外国語学校のフランス語の先生が
自分の国フランスから持ち込んだ
牛肉の缶詰を食べているのを見て驚いたのだそうです。

興味を持った松田雅典さんは
缶詰の作り方を教わったそうです。

そして、缶詰の必要性を長崎県に訴えて
日本で初めての缶詰の試験場を作りました。

「ちなみに、一番最初に作った缶詰は
 イワシの油漬けの缶詰だったんだそうですけれども、
 私何かの本で読んだんですが、
 はじめはこれなかなかうまくいかなくて
 たいへん苦労されたんだそうですね。」

1877年(明治10年)、当時の明治政府は
北海道・石狩川の近くに缶詰工場を作りました。

この工場では石狩川をさかのぼってくる
サケを原料に缶詰を作って、
これを販売していたのだそうです。

この缶詰の生産が始まった日が
明治10年10月10日だったということで、
缶詰業界では10月10日を「缶詰の日」
というふうにしているそうです。

「私聞いた話でね、明治時代の作曲家の滝廉太郎さんが
 ヨーロッパに留学中に結核に倒れられますよね。

 で、急遽帰国しなきゃいけなくなって、
 その船の中で『荒城の月』を作詞した
 土井晩翠さんに会ったみたいで、
 この土井さんがね、病気で苦しんでいる
 滝さんに差し上げたっていうのが
 福神漬けの缶詰だったんですって。

 最初にお漬物が缶詰になったのって
 福神漬けなんですって。

 で、この福神漬けを食べて滝廉太郎さんが
 生き返ったぐらいうれしかったと、
 もうすごく喜んだっていうお話がありましてね。

 あ~、やっぱり缶詰って海外にいる日本人にとって
 身体的にも精神的にも辛いときに
 缶詰一つで生き返れちゃうっていうね、
 力を与えてもらえる食べ物っていう
 そんな力あるな、なんて思ってね。
 いい話だなって覚えてました。」

<松田雅典と缶詰>

[1/21] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「永久ではありませんが、
 ある程度の期間は保存がきいて
 災害など万が一のときに非常食としても
 役立つ食べ物に缶詰があります。
 缶詰は私たちの食生活にも何かしらのかたちで
 かかわっていますけれども、
 今週は缶詰のお話をしたいと思います。」

そもそも缶詰とはどういうものをいうのでしょうか?

金属でできた入れ物の中に食べ物を入れて密封して、
加熱殺菌して出来上がってくるものが缶詰です。

缶詰の誕生にはあのフランス皇帝ナポレオンが
かかわっていたというのをご存知でしょうか。

18世紀の終わりから19世紀はじめにかけて、
ナポレオンはヨーロッパを制覇するために
軍を指揮して移動を繰り返していました。

このときナポレオンを悩ませていたのが
新鮮な食料の確保でした。

そこでナポレオンは賞金を出して
食べ物の保存のアイデアを募集したのだそうです。

そんな中1804年に
フランス人のニコラ・アペールという人が、
空気を通さない瓶の中に
調理した食品を詰めて密封した後に
お湯で加熱する保存法を考え出しました。

これがまさに缶詰を作るときの原理と同じことで、
これによってアペールは12000フランの賞金、
今の日本円でいうと6000万円ぐらいの価値があると
言われているそうですけれども、
その賞金を与えられたのだそうです。

最初は瓶詰めだったのですが、
アペールの発明から6年後、
イギリスでピーター・デュランという人によって
ブリキの缶詰が発明されて缶詰工場が誕生しました。

その後まもなく缶詰の製造法がアメリカに渡って
缶詰作りは本格化していきます。

1861年に南北戦争が始まってからは
軍の食料として缶詰の需要が急激に増えたのだそうです。

「確かに缶詰ができたことで
 それまでの食料の保存法、
 例えば塩漬けしなきゃいけなかったり、
 干さなきゃいけなかったり、
 薫製にしなきゃいけなかったりっていうものが
 缶詰のおかげで新しい味というか、
 おいしい味のまんまでいろんな味が
 楽しめるようになったっていう、
 これは大きな革命だったんではないでしょうかね。

 私もイギリスに住んでたときに
 日本食のお惣菜の缶詰にえらく助けられたので、
 やっぱり缶詰っていうのは
 ありがたい食品だなって改めて感じます。」

<缶詰のあゆみ>

『MUSIC FAIR』の公開録画

鈴木杏樹さんが恵俊彰さんと司会をされている
『MUSIC FAIR』が近々放送2200回を迎え、
それを記念して2月21日(木)に
東京国際フォーラム(ホールA)にて
公開録画を行うそうです。

抽選で視聴者を招待してくれるそうですので、
生杏樹さんにお会いしたい方はぜひご応募ください。

<ご応募はこちらからどうぞ>

 【締切り】 1月28日(月) 24:00


追伸)

この情報は杏樹さんのファンサイトの
「ひとこと広場」で知りました。
いつもありがとうございます。 m(_ _)m

<SUZUKI Anju Homepage>