[7/31] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「1932年、第10回ロサンゼルス大会で
 馬術競技で出場した2人の選手が
 後にその名を残すことになりました。
 今日はそのお話です。」

その2人の選手のうち
今日ご紹介するのは城戸俊三選手です。

城戸選手はこの大会の馬術競技代表チームの
主将も務めていました。

城戸選手が出場した総合馬術競技耐久種目は
32.29kmのコースに50個の障害が設置され、
山や野原を走るというたいへんハードな種目でした。

城戸選手はこの種目に愛馬「久軍」と出場し、
決勝に進みました。

城戸選手は全コースのほとんどを走り終え、
あとは障害を1つと約2kmの距離を
残すだけのところまで来ていました。

もう金メダルは目の前でした。

しかし、このとき愛馬「久軍」は19歳。
人間に例えるならかなりの高齢になっていたため
息は絶え絶えになっていたそうです。

それでもゴールまであとわずか。

もし城戸選手がむちをあてれば「久軍」は
最後の力を振り絞って走ったに違いありません。

ところが、その後観客は
信じられない光景を目にします。

金メダルを目の前にしながら走り続けようとする
愛馬「久軍」から城戸選手は降りたのです。

そして「久軍」に

「もう走らなくていいから」

と止めたのです。

この瞬間、競技を放棄したことになりました。

城戸選手は金メダルと引き換えに
愛馬「久軍」の命を救いました。

そのとき「久軍」はそんな城戸選手の心を知ってか、
城戸選手の肩に鼻をうずめて
まるで泣いている光景だったそうです。

その姿に審査員も全員もらい泣きしました。

当時のロサンゼルスで発行された
日本の新聞の見出しには、

 熱涙を呑んで
 城戸少佐、馬を救う
 最後の障害で棄権

というふうに書かれていたそうです。

この馬から降りた決断力と
愛馬精神に徹した城戸選手の行為をたたえて、
アメリカ人道協会は2つの記念碑を
作ったのだそうです。

その一つはカリフォルニア州にある
橋にとりつけられました。

そして、もう一つはリバーサイド市にある
教会が保管していたのですけれども、
1964年の東京オリンピックをきっかけに
教会で保管されていたその記念碑は日本へ贈られて、
今は東京の秩父宮スポーツ博物館に
展示されているそうです。

<世界の人々の心を捉えた愛馬物語・城戸俊三選手>

[7/30] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「1936年、ドイツで
 ベルリンオリンピックが開催されました。
 このとき棒高跳びの種目で
 2人の日本人選手がメダルを競いました。
 そのお話です。」

その2人の選手とは西田修平選手と大江季雄選手です。

棒高跳び決勝に残った選手は西田選手と大江選手、
そしてアメリカの選手3名の合計5名だったそうです。

5時間にも及ぶ死闘の結果、
アメリカの選手の金メダルが確定しました。

そして、同じ記録を出していた西田選手と大江選手が
2位と3位の座を競うことになったのですが、
2人は競技の打ち切りを申し出ました。

従来のルールだとこの時点で2人の2位が確定して、
銀メダルが2枚もらえるはずだったからです。

「同じ日本人同士でこれ以上競うべきではない」

という判断からの申し出だったのですが、
ルールが変わって、どうしても2位と3位を
決めなければならないということで、
審判の判断は4m25cmを
1回目で跳んだ西田選手を2位、
そしてこの4m25cmの記録を2回目で出した
大江選手を3位というふうに認定したそうです。

でも、このときに西田選手は
大江選手に言ったのだそうです。

「僕は前回のロスで銀メダルを取っているから
 今回は銅でいい。銅メダルでいい。
 次の東京オリンピックで金メダルを取って
 金、銀、銅をコレクションにするから。」

というふうに大江選手に銀メダルを
譲ったのだそうです。

ところが、日本に帰ってから大江選手は

「やっぱり銀メダルは西田さんのものです。
 取り替えてください。」

というふうに申し出たのだそうです。

そして、最終的にどうなったかと言いますと、
西田選手、大江選手ともにベルリンオリンピックでは
2位決定戦をやっていないのだから
お互いに銀メダルだったはずではないかということで、
それぞれ持っていた銀メダル、銅メダルを
2つに割って銀と銅を半分ずつくっつけた
メダルというのをつくりました。

このメダルというのは
「友情のメダル」として今も残っています。

大江選手のメダルは東京の秩父宮記念スポーツ博物館に、
そして西田選手のメダルは母校の
早稲田大学に展示されているそうです。

西田選手の期待にこたえた大江選手は
オリンピックの翌年の国際大会で優勝して、
日本記録をつくりました。

その記録というのは
21年間破られなかったのだそうです。

<大江季雄と友情のメダル>

[7/29] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「1928年、オランダ・アムステルダム大会で
 日本人女性として初めての
 オリンピック選手が誕生しました。
 今日はそのお話をします。」

日本人女性として初めての
オリンピック選手になったのは、
陸上の人見絹枝選手です。

1928年のオランダ・アムステルダム大会というのが
初めて女子の陸上競技が認められた大会でした。

当時、人見選手は走り幅跳びで
世界記録を持っていましたけれども、
オリンピック種目になかったので、
同じく世界記録を持っていた
100mに出場することになりました。

このとき人見選手は日本からオランダまで
何日もかけてアジア大陸を横断して行ったので、
コンディションというのは
万全ではなかったのだそうです。

ところが、すでに彼女の活躍は
世界中に知られていたこともあって、
誰もが優勝は人見選手だと
信じて期待されていたのだそうです。

ところが、予選の組み合わせで
強豪が集まる組になってしまって、
人見選手は無念の敗退となってしまいました。

続いて、そんな人見選手ですけれども、
今度は800mに出場しました。

800mは経験したことがなかったので
周囲は反対したそうなのですが、
それでもまわりを説得して出場しました。

この800mは壮絶なレースで、
人見選手はゴール前まで大接戦を繰り広げ
2位となりました。

この瞬間、日本の女子アスリート初の
メダリストというのが誕生したということです。

当然日本に帰ると大騒ぎで、
誰もが人見選手の活躍を祝福して喜びました。

そんな中、人見選手は各地を公演で回ったり、
後輩の選手を連れて海外遠征なども行いました。

ところが、そんな無理がたたって
少しずつ人見選手は体調を崩していったそうです。

オリンピックから2年後、1930年に
人見選手はチェコのプラハで行われた
国際女子競技大会に出場して走り幅跳びで優勝、
個人総合2位に輝きました。

しかし、その翌年、人見選手は
肺炎のために息を引き取りました。
24歳7ヶ月の短い生涯でした。

「短い生涯をオリンピックと陸上にささげた
 人見選手なんですけれども、
 プラハには人見選手の活躍をたたえる
 石碑が建てられているんだそうです。

 そこには、

 『KINUE HITOMI』の名前と一緒に
 『愛の心をもって世界を輝かせた女性に
  感謝の念を捧ぐ』
 というふうに記されているんだそうです。」

<短い生涯を駆け抜けたランナー・人見絹枝選手>

[7/28] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「いよいよ来週の金曜日、8月8日から
 北京オリンピックが始まります。
 オリンピックでは毎回たくさんの
 人間ドラマが生まれます。
 そこで今週は、そんなオリンピックにまつわる物語を
 ご紹介したいと思います。」

初日の今朝は、マラソンの父と呼ばれた
金栗四三選手のお話をします。

日本が初めてオリンピックに参加したのは
1912年にスウェーデン・ストックホルム
で行われた第5回大会でした。

メダルの期待を背負った金栗選手でしたけれども、
そのレース中に日射病になり、
26km地点で意識を失って
倒れてしまったのだそうです。

当時日本からスウェーデンまでは
約3週間もかかるという長旅で、
調整がたいへん難しかったそうです。

金栗選手はその4年後のドイツ・ベルリン大会で
リベンジを果たそうとしていたそうですけれども、
その大会自体が第一次世界大戦のために中止になり、
そして、さらにその4年後のベルギーの
アントワープ大会では16位でした。

その次のパリ大会にも出場されましたけれども、
32km地点で棄権したということで、
金栗選手は悲運のオリンピックランナーとして
語り継がれているのだそうです。

しかし、唯一の心残りというのが
金栗選手にありまして、
それは1912年に初めて出場したときの
スウェーデンのストックホルムオリンピックで
途中でリタイヤしたことでした。

そんな金栗選手が75歳になられたときに、
スウェーデンのオリンピック委員会が
記念行事への招待状を送ったのだそうです。

ストックホルムで金栗選手を待っていたのは
メインスタジアムでのゴールのテープだったそうです。

あの無念の途中リタイアから半世紀以上も経った中、
金栗選手はついにゴールのテープを切ることができました。

その瞬間に場内にはアナウンスが流れたのだそうです。

「日本の金栗ただいまゴールイン。
 タイム、54年と8カ月と6日、
 5時間32分20秒3。
 これをもって第5回ストックホルム
 オリンピック大会の全日程を終了する。」


「ねぇ、いきなことをしてくださったんですね、
 スウェーデンの方は。

 そして、金栗選手はゴールの感想を聞かれて
 『長い道のりでした。
  この間に孫が5人できました。』
 というふうにおっしゃったそうで。

 金栗四三さんという方は
 箱根駅伝を企画されたりですね、
 あと、グリコの赤いキャラメルの箱にね、
 ゴールインするランナーの絵が
 描かれてますけれども、
 そのモデルにもなっている方ということで。

 そうやって聞くと
 『あっ、あの方なんだ』って、
 世代を超えて誰にでも知られている方ですね。」

<マラソンの父・金栗四三>

[7/25] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「海岸に行くと遠くから波が押し寄せてきます。
 この波にもいろいろな呼び名があります。
 今日はそのお話です。」

波は風の力を受けることによって発生します。

風が吹き始めると小さく細かい波が立ち始めます。
これをさざなみと言うそうです。

風がさらに強まるとそのさざなみは
どんどんどんどん大きく高くなっていきます。
この状態を「ふうろう」というふうに呼ぶそうです。

この「ふうろう」は「風」に「三水の良」
と書いた「風浪」です。

また、小さな波がゆっくりと動いて
遠くまで広がっていく状態を
うねりというふうに言うそうです。

この風浪とうねりをまとめて
波浪というふうに呼んでいます。

気象に関する注意報とか警報の一つに
波浪注意報とか波浪警報というのを
よく耳にしますけれども、その波浪です。

これは風浪とうねりをまとめて呼んでいるものです。

この波がもっともっと高くなって
風もさらに強まっていくと、
やがて波の先端が砕けて白くなっていきます。

これが白波。

そして、沖で生まれた波が
陸地に近づくと海岸に打ち寄せて
やがてザザーンと砕けてきます。

この波を磯波というふうに言うそうで、
これはよく海岸で足元にザザーンときて
「キャー」なんて言って逃げたり
海に近づいたりしますよね、遊ぶのに。

その波、その軽い波のことを磯波と言うそうです。

この磯波を英語で表すと「surf」ということで、
「surfing(サーフィン)」の「surf」なのだそうです。

台風や地震のときの津波を除いて、
自然の状況での世界最大の大波、
ジョーズと呼ばれている波があるそうで、
これはハワイのマウイ島に
冬に何回か訪れる波なのだそうです。

その高さというのは20mとも30mとも
言われているそうです。

「自然の状態で30mの波が来るんですよ。
 すごいですね。

 で、この大波にサーファーがチャレンジしたときに
 まるでこの背後からですね、大きなサメが口を開けて
 迫ってくる状況に見えるということから
 その波の名前はジョーズと呼ばれている。

 なんか有名な波みたいですね。
 私ちょっとサーフィンをしないので
 マウイ島にジョーズが来るっていうのを
 ぜんぜん知らないんですけれども。

 よくオアフ島のね、ノーショアもいい波が
 出るっていうふうに聞きますけれどもね。
 このジョーズの話ははじめて聞きました。

 というわけで、今週は海の日にちなみましてね、
 海のお話を1週間させていただきました。」

<海の事典>

[7/24] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日、世界で一番大きい海は太平洋、
 そしてその次に大きいのが
 大西洋というふうにご紹介しました。
 漢字で書いたとき同じ太平洋の『たい』と
 大西洋の『たい』でもですね、
 『太い』と『大きい』という漢字、
 それぞれ違いがありますね。
 今日はそのお話をしたいと思います。」

太平洋と大西洋、「たい」の漢字が
「太い」という字と「大きい」という字で異なります。

どうして同じ「たい」なのに違う漢字なのでしょうか。

まずは太平洋の場合ですが、
16世紀、冒険家マゼランが
船で世界一周の旅に出たときに、
途中で太平洋を横断しました。

この海がたいへん穏やかだったことから
英語で静かな海を意味する「Pacific Ocean」
というふうに名付けられたのだそうです。

「Pacific」という言葉の中には
世の中が穏やかなことを表す
「泰平」の意味もあるそうです。

「天下泰平」の熟語にも「泰平」という
言葉がありますけれども、
そういう意味も含まれているのだそうです。

そして、この泰平の「泰」という字を略したのが
「太」という漢字なのだそうです。

ですので、泰平な海洋ということで
日本語では太平洋。
それで「太」という漢字が使われると
いうことなのだそうです。

それに比べて大西洋ですけれども、
これには諸説あるのだそうですが、
その中の一つをご紹介します。

17世紀のはじめに、当時の中国に来ていた
イタリアの宣教師マテオリッチという人が
世界地図を発行したそうです。

古くからヨーロッパでは大西洋のことを
「Atlantic Ocean」というふうに呼んでいたそうです。

ところが、この「Atlantic Ocean」を
漢字で表すのがたいへん難しかったということで、
西にある大きな海ということから
大きな西の洋で「大西洋」というふうに
表したというふうに言われているそうです。

「読み方は同じ『たい』でも
 太平洋の『たい』は『穏やかな』という意味で、
 そして大西洋の『たい』は『大きい』という意味で
 それぞれ漢字が異なるということなんですけれども。

 確かに子供の頃、どっちが太いで
 どっちが大きいだったかなって、
 漢字のテストなんかでね、
 間違えた覚えがなんとなくあるような
 気がするんですよね。

 でも、そのときに深く考えたことがなかったので
 こういうふうにいわれですとか意味っていうのを
 知っておくと間違えにくくていいですね。

 ぜひお子さんに、
 漢字テスト苦手そうなお子さんがいらしたら
 ぜひぜひ意味を教えてあげて、
 それでなるほどなるほどっていうふうに
 思っていただけたらなって思いました。」

<「太平洋」と「大西洋」>

[7/23] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「地球は表面の70%は海で覆われています。
 生命の源だけでなく、地球の環境のためにも
 大切な働きをしてくれています。
 そんな海の深さについて
 今日はお話ししたいと思います。」

北半球と南半球を比べた場合、
北半球のほうが陸地が多いので
海の割合は60%になります。

それに対して南半球は
80%が海なのだそうです。

地球上で一番広い海というのは太平洋です。
面積は日本列島が約450個も入る広さ。

「想像つきますか?
 想像してください(笑)」

2番目は大西洋。
広さは太平洋の半分です。

そして3番目がインド洋になります。

海の深さで一番深いのは
有名な太平洋のマリアナ海溝で、
深さは10924mあるそうです。

大西洋ではプエルトリコ海溝の8385m。

そして、インド洋ではジャワ海溝の
7045mが一番深いところになります。

海全体の平均の深さというのは
3795mになるのだそうです。

「すごいね。
 平均の深さが出せちゃうっていうことが
 すごいなぁって思うんですけれども。」

この海の深さですけれども、
どうやって調べているのかというところなのですが、
昔は船から重りをつけたロープをたらして
海底に届いたロープの長さで測っていたそうです。

しかし、この方法だと広い海を調べるのは
たいへんですし、ましてや限りがあったでしょうね。

何m以上になるとこれ以上はちょっと測れない
という限界がきたと思うのですけれども、
そんな中、音波を使って観測する方法というのが
考えられたのだそうです。

水中では電波というのは
伝わらないのだそうですけれども、
音波は伝わるということで、
この性質を応用したのだそうです。

船の底につけられた装置から
海底に向かって音波を出します。

そして、その音波が海底に当たって
やまびこのように戻ってくる時間を測ると、
その深さがわかるということです。

現在では観測装置もどんどん進歩しているらしくて、
最新の測定機械が海底の地形を
正確に観測することができて、
海図作りなどに活用されているということです。

「そうですよね、ほんとによく
 マリアナ海溝は深いっていうふうに聞きますし、
 やっぱりこれを測定する技術が
 発達しないとそれは無理ですからね。

 改めてこうやって考えると、う~ん、
 技術ってすごいなって思いますけれども。

 そんなわけで今日は海の深さ、お伝えしました。」

<海の自然のなるほど「海の深さと広さ」>

<海の自然のなるほど「音波で海の深さを計る」>

[7/22] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「海はすべての生き物の源です。
 そんな海には私たちが知らないことが
 まだまだたくさんあります。
 今日はそんなお話です。」

地球上にある水の量の約97%は海水です。

海を面積で見ますと、
地球表面の70%を占めています。

海水1リットル中に含まれている
塩分の量というのは32g~35g。
含有量で表すと3.2%から3.5%と
言われているそうです。

そんな海の水ですけれども、
先日気になるデータが発表されました。

北極に近い北大西洋などの
海水中の塩分が減っているということが
アメリカの研究でわかりました。

1955年から98年に世界各国の海で観測された
200万件以上の塩分濃度のデータを分析したところ、
北極に近いグリーンランドの北大西洋では
塩分が約0.1g、割合で言うと約0.2%ほど
少なくなっていたのだそうです。

これは地球温暖化の影響で
極地の氷が溶けて海に流れ込んで、
それで塩分が薄まったのではないか
というふうに言われていますけれども、
本当のところはまだ研究が進められているようです。

海水というのは少しずつ移動していて、
地球をぐるっと回っています。
これを循環というふうに言います。

今回問題になっているのは熱塩循環への影響。

これは水温と塩分の割合によって
水がわき上がったり沈み込んだりする
循環のことだそうです。

北大西洋に冷たい海水が沈むと
今度は南から暖かい海水が流れ込んでくる。
これを大西洋オーバーターンと言うそうです。

もし海水の流れが止まってしまうと
地球の気候によくない影響が出るのではないかと
心配されているということです。

「私、イギリスに住んでいたことがあるというお話は
 何回かさせていただいていると思うんですけれども、
 イギリスのまわりもね、
 緯度が高いわりには温暖が保たれているという。

 やっぱりそのオーバーターンの
 循環のおかげでイギリスは暖かいと。
 だから霧が出るんですけれどもね。

 緯度が高いわりに海の温度が高いから
 水蒸気が上がってよく雨も降るし、
 霧も出るということで。

 そんなことが海では行われているんだっていうことを
 改めて考えたりなんかしましたけれども。」

<環境と自然「海」~ナショナルジオグラフィック~>

<熱塩循環(ウィキペディア)>

[7/21] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今日、7月の第3月曜日は『海の日』で祝日ですね。
 日本は四方を海に囲まれています。
 古くから海とともに生活しています。
 そこで今週は、海のお話をしたいと思います。」

海の日は1995年に「国民の祝日に関する法律」で

 海の恩恵に感謝するとともに
 海洋国日本の繁栄を願う

日として祝日と定められました。

そして、翌年の1996年から
7月20日が祝日となりました。

その後、2001年の祝日法の改正で
7月の第3月曜日に変わりました。

海はすべての生物の源と言われています。

海に浮遊している植物性のプランクトンや海藻類が
光合成を行うことで酸素を次々とつくり出しています。

その後オゾン層がつくられ、このオゾン層によって
地上に降り注ぐ生物に有害な紫外線などが弱まって、
陸上でも生物が生きられるような環境が整ってきました。

地球上の酸素というのは3分の2が
海でつくられているということで、
この海に浮遊する植物性のプランクトンや海藻によって
酸素がつくられているということです。

その海ですけれども、今、
汚染の問題が深刻化しているそうです。

昔に比べると人が自分たちの都合で
自然に手を加えていったり、
また、汚染物質が増えてきたりということで
海がどんどん汚れてきているのだそうです。

実はこうした汚染物質、
例えば工業用水とか生活排水などには
窒素とかリンとかが含まれていて、
これが海に流れ込むことでプランクトンが
異常に増えるということもあります。

「これが俗に言われている
 『赤潮』というものなんですけれども、
 この赤潮の発生がね、必ずしもその環境のあれで
 なっているかというとわかりませんけれども。

 ただ、海の汚染に関してとか、最初はね、
 きっと人類はあまりにもこの海が広くて広大で、
 どうやったら汚れていくかとか、
 まさか汚れているとは考えも
 しなかったんだと思うんですよね。

 で、きっと自分たちの生活の便利さを
 追求していくことで自然が徐々に変わっていって、
 大気の温度が上がっていったりっていう。

 海の自浄作用もだんだん
 比例しなくなってきたりっていうことが
 起きているんじゃないのかなっていう
 気がしますけれども。

 私たち人類が長生きするためには
 やっぱり地球と自然を守ることを
 考えていかなきゃいけない、
 そんな時期が来ているのかなぁって感じます。」

<海の日~財団法人・日本海事広報協会~>

<海の自然のなるほど「酸素は海からもつくられる」>

<赤潮(ウィキペディア)>

[7/18] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「最新の科学と技術を使って
 天気予報がつくられていますが、
 昔からお天気に関する言い伝えもあります。
 今日はそのお話をします。」

昔からのお天気に関する言い伝えですけれども、
有名なのは

 夕焼けの次の日は晴れ

というものです。

お天気は西から変わっていくということで、
西が晴れていれば次の日は晴れることが
予想されるということです。

よく星空がきれいに見えた晩は
翌日はいいお天気になると言いますよね。

 ツバメが低く飛ぶと雨

これはご存知ですか?

お天気が悪くなると
虫は低いところを飛ぶそうです。

ツバメは虫を餌にしているので、
地上近くを飛ぶときは
虫が低いところを飛んでいるということで
お天気が悪くなると、
こういうふうに言われています。

「勉強になりますわ(笑)」

続きまして、

 カラスが山に早く帰ると晴れる

翌日も天気がよいと朝から餌がとれるので
カラスは早く帰るのだそうです。

「ほんと?!」

でも、翌日雨だと飛べなくて餌をとれなくなるので、
夕方遅くまで飛んでいるのだそうです。

「合理的なんですね、カラスって。
 知らなかった。」

今、三重県の鳥羽水族館では
カエルとイモリの天気予報というのが
行われているそうです。

これはなかなか興味深いのですけれども、
高さ1.8mの水槽にニホンアマガエル20匹と
アカハライモリ10匹が入っていまして、
カエルが目を開けていたり、
木に登るなど活発にしていたら雨なのだそうです。
そして、その彼らがじっとしていれば晴れ。

イモリさんたちですけれども、
イモリが水中にいれば晴れで、
上陸していれば雨なのだそうです。

「不思議。

 いずれも中間の行動をとっていたら
 曇りと判断するそうで、
 なんだか面白いですけれども。

 これ、8月下旬まで統計をとって
 精度を調べるそうなんですけれども、
 これけっこう当たっているんだそうですよ。
 面白いですね。

 そしてね、この鳥羽水族館では職員の方がね、
 昔ながらの下駄での予報も行っているんですって。
 こちらの精度はまぁまぁ
 バラバラなんだそうですけれども。

 ほんとに私たち小学校の頃ね、
 学校の帰り道にね、靴飛ばして。
 でも、最近子供たちが靴飛ばして
 『明日天気になぁれ』なんて
 やっているのを見ないなと思って。

 おじいちゃんおばあちゃんになったら
 孫たちに(笑)教えてあげなきゃななんて、
 そんなことを考えたりしながら
 今週は1週間、天気予報のお話をしました。」

<ことわざで天気予報>

<鳥羽水族館公式ホームページ>