[1/30] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は日本全国の有名な
 温泉地についてお話ししています。
 最終日は大分県由布院温泉と湯平温泉です。」

由布院温泉と湯平温泉は大分県の中央部、
由布市にあります山間の温泉です。

大分市内からは車でおよそ40分から
50分ほどのところにあります。

この由布院と湯平の温泉ですけれども、
昨年国内旅行情報誌『じゃらん』の
人気温泉地ランキングで、
一度は行ってみたい温泉地の
1位に輝いたということです。

由布院とこの湯平の温泉は隣り合った温泉街です。

もともと由布院は人気の温泉地で、
由布岳を背景とした田園風景、
特に秋から冬にかけて朝霧に包まれる様子は
ほんとに幻想的です。

「行ったことあるんですよ」

個性的な美術館、そしておしゃれなショップや
レストランなどがたくさんあって、
女性の憧れの地でもあるそうです。

その由布院から車で
15分ほどのところにあるのが湯平温泉です。

歴史は湯平温泉のほうが古く、
300年の歴史を持つそうです。

町の中に続く石畳の道も有名で、
その石畳の道を挟んで両側に
およそ40軒の旅館や
湯治客用の休憩所が並んでいます。

湯平温泉はお湯の出る量が豊富で、
別府と並ぶ名湯として知られていました。

泉質は単純食塩水で、
古くから飲むと胃腸に効くと
言われているそうです。

共同浴場も5か所ありまして、
足湯ができるところもあるということです。

歴史を感じさせる湯平温泉ですけれども、
由布院温泉の人気とともに
注目が集まったということです。

由布院温泉に1泊して、
そして湯平温泉にも1泊するという、
その2泊をセットにする旅行が
とても注目を集めているらしくて、
さきほどの『じゃらん』をはじめ
旅行関係のアンケートでも
常に上位にランキングされているという、
そんな温泉地だそうです。

「由布院にはね、
 母とよく行っていた全国温泉巡りで
 よく由布院は行かせていただきましたね。

 お食事もおいしいですし、
 雰囲気もいいですし、
 大好きな場所ですね。

 ということで今週は、
 温泉気分にみなさんにも浸っていただきたいな
 という思いも込めまして、
 温泉のお話をさせていただきました。

 ぜひこの時期みなさん、
 温泉いかがでしょうか。」

<由布院温泉観光協会公式サイト>

<大分 湯平温泉のホームページ>

[1/29] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は日本全国の有名な
 温泉地についてお話ししています。
 今朝は愛媛県道後温泉です。」

漢字で「道の後ろ」と書く道後温泉ですけれども、
こちらは愛媛県の松山市にあります。

松山空港からは車で
1時間以内というところにあります。

この道後温泉は日本でもっとも古い温泉
と言われていまして、
日本書紀にも登場しているそうです。

それ以前にも温泉は湧いていたのだそうで、
その歴史は3000年を超えると言われています。

そんな歴史ある道後温泉のシンボルが
明治27年に建築された道後温泉本館です。

3つの層、3層建の建物で
重要文化財にも指定されています。

とても歴史とロマンを感じさせる建物です。

浴場は2種類ありまして、
1階の大浴場を神の湯、
これは神様の神です、神の湯。

そして小さいほうを霊の湯(たまのゆ)、
これは魂の霊で、霊の湯と言います。

浴槽は花こう岩でできています。

泉質はアルカリ性単純泉で
滑らかなお湯が特徴です。

この道後温泉本館は外湯として
楽しむことができる温泉施設です。

毎朝6時に一日の始まりを告げる
太鼓の音が鳴り響きます。

その音を待ちわびて朝の一番風呂に入るのを
楽しみにしている地元の方も多いということです。

「わぁ、いいですね。
 朝6時に一番風呂ですよ、素敵。」

神の湯なのですけれども、
この1階部分の料金は400円ということです。
銭湯とほぼ同じ値段で入れるということですね。

そして、神の湯2階の料金が800円。
なぜ倍になるかと言いますと、
1階の神の湯に入浴して2階の大広間で
休憩ができるということでございます。

また、この道後温泉は夏目漱石の小説
『坊ちゃん』にも登場していますけれども、
そんな縁から「坊ちゃんの間」という
お部屋もあるそうです。

さらには夜はこの道後温泉本館自体が
ライトアップされまして、
昼間とは全く違った雰囲気になるということです。

「ほんとになんかね、素敵ですよ。
 写真で拝見しているんですけれども、
 いい感じですね。

 道後温泉はまだ行ったことないんですけれどもね、
 結婚前にはね、年に一度母と
 全国の温泉巡りをよくしていましてね。

 温泉の本を眺めては今年はここ行こうかなんて
 決めて行っていたので、
 その中にいつも道後温泉が入ってたのでね、
 いつか行ってみたいなって思っています。」

<道後物語~道後温泉旅館協同組合~>

[1/28] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は日本全国の有名な
 温泉地についてお話ししています。
 今朝は兵庫県城崎温泉のお話です。」

「きのさき」温泉は漢字で書きますと、
お城の「城」に長崎の「崎」と書いて
「きのさき」(城崎)というふうに読みます。

住所は兵庫県の豊岡市です。

同じ兵庫県でも神戸とは反対側、
日本海に近いところにあって
すぐ隣は京都府になります。

城崎温泉は古くはコウノトリが
お湯につかって傷を癒やしたことから
発見されたと伝えられています。

そんなところから豊岡市は、
コウノトリの飛ぶ町として
コウノトリを町のシンボルにしているそうです。

その豊岡市にあります城崎温泉ですけれども、
およそ1400年もの歴史を
誇っているということです。

志賀直哉や島崎藤村など
数多くの文学家に愛されてきたそうです。

城崎温泉にはそんな温泉の歴史がわかる
コーナーとかもあるのだそうです。

城崎温泉ですけれども、
大阪から車で3時間、
岡山からも3時間半ということで
県外からも多くの観光客が訪れます。

城崎温泉には全部で7つの外湯がありまして、
温泉街の旅館に泊まりますと
そのほとんどで外湯入浴券というのを
もらえるそうです。

「その入浴券を持って浴衣と下駄で
 温泉を巡るというのが城崎流の外湯巡り
 というものなんだそうですけれども、
 楽しそうですよね。」

その7つの外湯なのですけれども、それぞれ

 鴻の湯
 まんだら湯
 御所の湯
 一の湯
 地蔵湯
 柳湯
 さとの湯

という名前がついています。

また、その中にあります一の湯というのは、
江戸時代、新しい湯とかいて新湯(あらゆ)と
呼ばれていたそうなのですけれども、
ここを訪れたあるお医者さまが泉質を絶賛されまして、
日本一の意味を込めて一の湯に改名したそうです。

「そんなにいいんですね、泉質ね。

 城崎温泉の冬の楽しみといえばカニ。
 定番のカニ料理以外にも温泉街では
 カニラーメンとかね、カニミソそばとかね、
 もうこちらでしかいただけないような
 お料理っていうのが城崎温泉では
 楽しめるということです。

 やっぱり温泉に行きますと、
 その温泉地にその土地その土地の
 名物っていうんでしょうかね、
 おいしい食材があると
 ほんとにうれしいですよね。

 あぁ、危ない(笑)
 こういう話をして想像しているだけで
 行きたくなりませんか、温泉。」

<城崎温泉観光協会公式サイト>

[1/27] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は日本全国の有名な
 温泉地についてお話ししています。
 今朝は静岡県伊豆・修善寺温泉です。」

「しゅぜんじ」は修学旅行の「修」という字に
善悪の「善」、そして「お寺」と書いて
「修善寺」ですけれども、
伊豆半島の真ん中、中伊豆地方にありまして、
伊豆で一番古い温泉地なのだそうです。

温泉街の中心を町のシンボルでもある桂川が流れ、
その川岸に温泉宿が建ち並びます。

さきほど修善寺温泉は伊豆で一番古い温泉である
とご紹介しましたけれども、
今から1200年以上前、807年に
弘法大師がトッコと呼ばれる仏具の一種で
桂川の岩を打ち砕き、霊泉を湧き出した
というふうに言われているそうです。

その仏具にちなんで名づけられたのが「トッコの湯」。

これが修善寺温泉発祥の温泉で、
伊豆でもっとも古いお湯だというふうに
言われているそうです。

この修善寺という地名ですけれども、
弘法大師が建てたお寺「しゅぜんじ」に
由来しているそうです。

このお寺の読み方も同じ「しゅぜんじ」
なのですけれども漢字が違います。

お寺のほうの「しゅぜんじ」の場合は
修学旅行の「修」に、「ぜん」という字が
座禅の「禅」で「お寺」と書いて「修禅寺」。

地元の方の中には言葉で
地名とお寺を区別するために、
地名のほうは「しゅぜんじ」と呼んで、
このお寺のほうは「しゅうぜんじ」というふうに
呼ぶ方もいらっしゃるということです。

その修善寺温泉なのですけれども、
弱アルカリ性、単純泉で、冷え性や筋肉痛、
そして疲労回復に効果があると言われています。

これからの時期、修善寺温泉には
温泉以外にもう一つ楽しみがあります。

「それは梅林なんですって、梅です。
 修善寺梅林にはおよそ20種類、3000本もの
 紅白の梅が植えられているんですって。

 そして今度の日曜日、2月1日からは
 恒例の梅まつりが開催されるということです。
 いいですね。

 いろいろお土産屋さんや食べ物屋さんなんかも出て、
 たくさんの観光客が一足早い春の訪れを感じに
 梅の見学にいらっしゃるということで、
 素敵ですね。

 私、桜もね、もちろん好きなんですけれども、
 その前に咲くこの梅っていうのがね、
 何よりも好きなんですね。

 ぜひこの修善寺の梅林にも行ってみたいな。
 みなさんもいかがですか、
 梅まつりとともに伊豆へ、温泉。」

<伊豆修善寺の情報ポータルサイト>

<ノスタルジックロマン・伊豆修善寺温泉>

<修善寺梅林>

[1/26] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「寒い季節の旅行の楽しみに温泉がありますね。
 冷え切った体が温泉で温まる瞬間は
 ほんとに幸せですね。
 そこで今週は、日本全国の
 温泉のお話をしたいと思います。」

以前温泉のお話をさせていただいたときに、
温泉の歴史とか世界の温泉を
ご紹介させていただきましたので、
今回は日本全国の有名な温泉地について
お話したいなと思っております。

今朝は、まずは北海道の登別温泉からいきます。

北海道の中で最大の温泉地が登別温泉です。

江戸時代の終わり、安政5年に温泉が開かれ、
昨年150周年を迎えたそうです。

1日1万トンもの温泉が自然に湧き出ていて
温泉の種類も豊富なことから、
「温泉のデパート」とも呼ばれているそうです。

その温泉の種類はなんと
11種類もあるということです。

登別温泉が人気な理由としまして、
こうした豊富な温泉量や
美しい自然に囲まれている
ということもあるのですけれども、
もう一つはやはり交通の便の良さだということです。

北海道の空の玄関口・新千歳空港や、
北海道最大の都市・札幌からも
1時間から1時間半以内で
着くことができる便利な場所です。

毎年300万人以上の観光客が訪れて、
数ある北海道の温泉の中でも
名実ともにナンバー1の呼び声が高い
温泉郷だということです。

また来月なのですけれども、
3日の火曜日、そして4日の水曜日には
「登別温泉湯まつり」というのが
行われるということです。

豊富なお湯の量と
たくさんの種類を誇るお湯への感謝と、
そしてお湯が尽きることのないように
繁栄と無病息災への祈りを込めた
お祭りが行われるということです。

ふんどし姿の若者たちがお湯をかけあう
「源泉湯かけ合戦」というのがあるらしくて、
それが始まりますと会場は
熱気の渦に包まれるそうです。

「源泉湯かけってなんか寒そうだけど熱そうで、
 熱そうだけど寒そうな、なんかそういう
 お湯かけ合戦があるということで。

 以前友人がですね、雪見露天風呂に入って
 すごく素敵だったっていう話を聞いたことがあって、
 やっぱり北海道にもあるんですかね、
 雪見露天風呂なんていうのはね。

 なんかとっても憧れていますけれども、
 ぜひいつか行けたらいいなと思います。」

<登別温泉サイト>

<登別温泉、北海道の名湯>

[1/23] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「人気のフィギュアスケートですが、
 ルールや採点方法がいまひとつわからない
 という方もいらっしゃるかと思います。
 私も含めてでございます。
 今日はそんなお話をしたいと思います。」

男女シングルの競技は
ショートプログラムとフリースケーティングの
2つの競技部分からなっています。

ショートプログラムはジャンプ3つ、スピン3つ、
そしてステップ2つの8つの必須要素からなり、
滑走時間は男女とも2分50秒以内です。

そして、フリーの滑走時間ですけれども、
男子が4分30秒、そして女子が4分で
プラスマイナス10秒の幅が
認められているということです。

「なるほど」

こうした演技の採点は
10人の審判員によって行われます。

フィギュアスケートの得点は
トータルエレメントスコアと
プログラムコンポーネンツと
減点の3つを合計したものです。

トータルエレメントスコアというのは
技の要素を評価したもので、
難易度の高い技を正確に演じることで
得点が上がります。

そしてプログラムコンポーネンツですけれども、
これは専門家の目で滑りの美しさであるとか
滑らかさ、音楽との一体性などを評価します。

トータルエレメントスコア、
プログラムコンポーネンツとも
審判員10人の評価のうち
コンピューターが無造作に
3人の審判員を除外します。

そして、残った7人の評価のうち
最高点と最低点の評価を除いた
5人分の評価の平均をとるのだそうです。

「これは採点に公平さを期すためだって。
 こういう工夫がなされてたんですね。
 ぜんぜん知りませんでしたけれども、すごい。

 アクセルとかルッツとかスピンなどの
 ジャンプ技とかありますよね。

 こういう技について詳しくお伝えできればなと
 思っていたんですけれども、
 実際言葉だけでお伝えするのが非常に難しくて、
 それほど細かい技術を要した
 技たちだったんですね。

 スケート靴のブレードの前と後ろ、
 そして細い横幅の左右、
 それぞれの技に対してですね、
 どの部分に体重を乗せて
 どの方向からどのように飛んで、
 どのように回ってどのように着地するのかという、
 ほんとにとても細かい技術が
 あの数秒間の技には凝縮されていました。

 華麗に見える美しい世界の中、
 きっとね、想像を絶する体力と集中力と
 プレッシャーに打ち勝つ精神力、
 これを発揮して行われているんだなぁ
 と改めて感じました。

 ということで、
 今週はスケートのお話をしました。」

<スケート 競技解説 ~ J SPORTS ~>

[1/22] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「スケート競技の中でも特に人気が高いのが
 フィギュアスケートです。
 そこで今日は、フィギュアスケートのお話をします。」

タイムを競うスピードスケートと違い、
フィギュアスケートは華やかなコスチュームに
身をまとった選手がジャンプやスピン、ステップ、
そしてコンビネーションジャンプなどの
演技を音楽に合わせて行います。

そして、技の完成度や技の組み合わせ方、
演技全体の流れ、振り付け、
演技力などを競っていきます。

競技は男子、女子のシングルと、男女ペア、
そして同じく男女ペアによる
アイスダンスの4種目があります。

男女シングルスとペアスケーティングは
ショートプログラムと
フリースケーティングが行われます。

現在のように音楽とスケートが
融合されるようになったのは19世紀の半ば、
アメリカ人のジャクソン・ヘインズの
登場によってだそうです。

トップクラスのスケーターであるのと同時に
バレエの教師でもあったヘインズさんは、
フィギュアスケートにバレエの要素を取り入れました。

さらに、音楽の都ウィーンを訪れたとき、
クラシック音楽をスケートに
取り入れることを思いつきました。

クラシック音楽にのって氷の上をバレエのように
華麗に舞い踊るヘインズさんの姿は
ヨーロッパ各地で話題になりました。

これが現在のフィギュアスケートの
原型になったということです。

フィギュアスケートはサラエボオリンピックが行われた
1984年以降1991年まで大きな変化を遂げました。

それは90年を最後にコンパルソリーと
呼ばれる規定演技が廃止になって、
ジャンプの重要性がさらに高くなったことです。

それを象徴したのが伊藤みどり選手。

1989年の世界選手権で女子で初めての
3回転半のトリプルアクセルを成功させました。

「この当時男子でもこのトリプルアクセルを飛べたのは
 少数のトップ選手だけだったんだそうなので、
 伊藤みどりさんはほんとにすばらしい、
 すごい選手だったということなんですね。

 それにしても音楽にのって
 バレエの要素を取り入れて氷の上をね、
 美しく舞い踊るという形をつくったっていうのは
 アメリカ人だったんですね。

 なんかスケートというとロシアとか
 北ヨーロッパというイメージが強かったので
 意外だったんですけれども。

 この方の思いつきが後にこのすばらしい競技にね、
 進化していくっていうことなんですね。」

<フィギュアスケート(ウィキペディア)>

<フィギュアスケート~gooスポーツ~>

[1/21] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日は日本の近代スケート発祥の地が
 長野県岡谷市だとご紹介しました。
 日本にはもう一つスケート競技の発祥の地があります。
 今日はそのお話です。」

今日はフィギュアスケート発祥の地のお話です。

それは宮城県仙台市です。

青葉城のお堀にある池、五色沼。

この当時の東北地方は今よりも寒くて
五色沼も冬になると凍ったのだそうです。

明治23年頃この五色沼で外国の人たちが滑り始めて、
明治30年頃にはアメリカ人のデヴィソンという方が
日本の子供たちにフィギュアスケートを教えました。

さらに、その後地元の一人の高校生が
ドイツ語の先生からフィギュアスケートの
基本を習ったのだそうです。

その後、その教わったことを後輩たちに伝えて、
さらにその後輩たちが長野県の諏訪湖に行って
地元の人たちにフィギュアスケートの
基本を伝えたと言われています。

ここで長野の諏訪湖とつながったということです。

この仙台の高校生たちですけれども、
後に日本スケート界の功労者と言われたそうです。

その後、昭和6年には
全日本フィギュアスケート選手権が
この五色沼で開催されました。

今も五色沼の周辺には
「日本フィギュアスケート発祥の地」と刻まれた石碑と
フィギュアスケートをイメージした記念の像があります。

こうして五色沼を通じて宮城県は
フィギュアスケートと強い結びつきがあるのです。

そして、トリノオリンピックで金メダルに輝いた
荒川静香さんの出身校があって、
数多くの日本を代表するフィギュアスケートの
選手たちが誕生しているということです。

「ところで、フィギュアスケートの
 名前の由来ですけれども、
 リンクの上にフィギュアの図形ですよね、
 を描くように滑ることに
 由来しているということで、
 フィギュアスケートと呼ばれるそうです。

 今日はフィギュアスケートの
 発祥の地のお話をしました。」

<日本フィギュアスケート発祥の地>

[1/20] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「北ヨーロッパを中心に広まったスケートですが、
 日本にはいつ頃入ってきたのでしょうか。
 今日は日本のスケートの歴史です。」

日本にスケートが正式に紹介されたのは、
明治のはじめから中頃にかけてと言われています。

スケートがどのようにして
日本に伝わってきたかと言いますと、
諸説あるのだそうですけれども、
中でも一番有力なのが明治10年、
当時の札幌農学校に就任した
アメリカ人のブルックス先生が来日したときに
スケート靴を持ってきて、
みんなに紹介したのが始まりとされています。

さらに、新渡戸稲造がアメリカから
札幌農学校へスケート靴を持ち帰ったことから
日本でスケートが広まったと言われています。

このようにスケートが伝えられたのは
札幌なのですけれども、
スケート競技としての発祥の地は
他にあるのだそうです。

例えば、長野県岡谷市。

ここは日本の近代スケート発祥の地だそうです。

岡谷市は標高約750mのところにあり、
諏訪湖があります。

冬の厳しい寒さで諏訪湖の水が凍り、
それが天然のスケートリンクになりました。

さらに明治39年には、下駄の底に
鉄製のスケートの刃、ブレードをつけた
下駄スケートというのが登場しました。

この下駄スケートが人気を呼び、
たくさんの人が諏訪湖に来てスケートを楽しみ、
日本中にスケートブームが起こったのだそうです。

さらに、諏訪湖以外にも田んぼが凍ってできた
田んぼリンクがあちこちに誕生して、
町の人たちにとって厳しい冬の楽しみの一つとして
スケートがどんどん浸透していきました。

明治42年には日本最初のスピードスケート競技会、
「諏訪湖1周スケート大会」というのが
諏訪湖で行われたそうです。

「さきほどの下駄スケートなんですけれども、
 どんなものかって言うのはですね、
 鼻緒のついた下駄の先に
 雨よけカバーみたいなものがついておりまして。

 で、裏側の底はね、
 下駄の刃の高さの違いってあんまりなくて
 草履とかせったのような底になっていて、
 その中心にこのブレードが取り付けてあるんですね。

 もうね、絵に描いたようなもう大傑作ですね。
 これは、下駄スケートっていうのは、
 素晴らしいと思いました。

 でも、これ素足で履いてたのかなぁ。
 それとも足袋とか履いて履いてたのかなぁ。
 どうなんでしょうね。

 今日は近代スケート発祥の地と言われている
 長野県岡谷市のお話をしました。」

<「スケートのまち」 岡谷>

[1/19] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「冬のスポーツの代表の一つに
 スケートがあります。
 そのスケートですけれども、
 ここ数年浅田真央選手などの活躍で
 人気が高まっているんだそうです。
 そこで今週は、スケートのお話をします。」

まずは、スケートの歴史です。

スケートの歴史はとても古くて、
紀元前の石器時代までさかのぼると言われています。

と言いましても、今のようにスケート靴を履いて
氷の上を滑るというものではなくて、
そりのようなもので凍った湖や沼の上を移動したり、
物を運んでいたりしたそうです。

そのそりですけれども、
刃の部分は金属ではなくて
馬やトナカイなどの動物の骨で
できていたのだそうです。

こうしたそりは後に
北ヨーロッパの洞穴から発見されています。

その後、その動物の骨を靴に結びつけて、
スキーのストックのように
先のとがった棒を突きながら
氷の上を滑ったと言われています。

それがスケート靴の始まりだと言われています。

やがて14世紀には動物の骨の代わりに
木を結びつけたスケート靴が誕生しました。

さらに金属の加工技術の進歩によって
スケート靴の刃の部分、ブレードが
鉄でできた靴というのが作られました。

この鉄製のブレードの靴の誕生で
氷の上での移動がかなりスムーズに
なったということです。

その後、靴とブレードが一つになった
現在のスケート靴の原型が誕生します。

スケート靴の進化によって18世紀後半から
スケートはスポーツ競技として発展します。

中でもオランダではスケートが人気で、
1889年にはアムステルダムで
世界最初のスケートの大会が行われたそうです。

この大会ではスピードを競い合ったそうですけれども、
スケートの人気はヨーロッパに広がり、
1892年には国際スケート連盟が誕生しました。

その翌年からスピードスケート男子、
1896年にはフィギュアスケートの
世界選手権も行われるようになりました。

そしてそして、1908年、
第4回オリンピック・ロンドン大会では
スケート競技が初めてオリンピック種目に
なったということです。

「なかなかね、スケートって
 映像でしか見ることのない、なくてですね、
 かねがねね、このスケートについて
 知りたいなぁと思っていたんですね。

 ルールなども含めまして、今週はね、
 スケートについてお話しさせていただきますね。
 どうぞお楽しみに。」

<JOC - スケート>