[3/31] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は万年筆のお話をしています。
 昨日は明治28年に日本で初めて
 万年筆が輸入されて販売されたというお話をしました。
 その後日本でも万年筆の開発が進められました。
 今日はそれについてお話しします。」

明治時代の終わりから大正時代にかけて、
海外から輸入されたいわゆる舶来万年筆の
全盛時代となりました。

そんな中、国産の万年筆をつくろうと
思い立った方々がいました。

阪田久五郎さん、並木良輔さん、
そして、中田俊一さんです。

それぞれ独自の努力で
国産万年筆の開発や普及に努めた方々です。

この3人の方々はそれぞれ
万年筆の会社をつくりました。

それがセーラー万年筆、
パイロット万年筆、プラチナ万年筆。

日本の三大万年筆メーカーと呼ばれています。

1911年、明治44年に阪田久五郎さんが
つくられたのが現在のセーラー万年筆です。

広島・呉の海軍の工場で働いていた阪田さんは、
そのとき軍人さんたちが万年筆で字を書くことに
衝撃を覚えたそうです。

そして、国産万年筆の開発に乗り出し、
万年筆の商標をセーラーとしました。

この名前は、

 自らの製品が世界へ進出してほしい

という願いが込められているそうです。

阪田さんはペン先を2つに割ることで
インクの色が均一になるように開発しました。

また、1954年には
カートリッジ式万年筆の特許を取得しました。

1918年、大正7年に誕生したのが
並木良輔さんがつくられたパイロット万年筆です。

現在のパイロットコーポレーションです。

パイロットの名前は、
大きな船の先端に立って進む
水先案内人を表していて、
業界を先導する水先案内人になれるように
という願いも込められています。

その翌年、中田俊一さんがつくられたのが
現在のプラチナ万年筆です。

このプラチナという名前は、
金属の王様と呼ばれるプラチナから
つけられたそうです。

プラチナはカートリッジ式万年筆の販売で
一躍有名になりました。

<セーラー万年筆>

<パイロットコーポレーション>

<プラチナ万年筆>

[3/30] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「パソコンや携帯電話の普及で
 ペンで文字を書く機会はどんどん減ってきています。
 そんな中、万年筆の良さが
 改めて見直されているそうです。
 そこで今週は万年筆のお話です。」

文字を書くペンの中で
最も歴史が古いと言われているのが
鳥の羽を使った羽ペンです。

羽の根の部分をカットして
ペン先のように仕上げて、
インクをつけながら書きます。

羽ペンは19世紀中頃まで主要とされていました。

現在の万年筆のようにインクをためておきながら
書くことができるペンの開発は19世紀に入ってからです。

1809年にはイギリスで
ペンの軸の部分にインクをたくわえ、
さらにそのインクを指でペン先に
押し出す技術が開発されました。

こうしてできたペンは「ファウンテンペン」、
「泉のペン」というふうに呼ばれていました。

万年筆を辞書で引くと
ファウンテンペン(fountain pen)
というふうに出てきます。

でも、まだこの時代のファウンテンペンは
実用的ではなくて、
現在の万年筆の原形となるペンが開発されたのは
1884年になります。

ニューヨークにウォーターマンという
保険の外交員の方がいました。

このウォーターマンがあるとき
大口の契約の成功まで目前に迫りました。

あとは相手の方に契約書に
サインをしてもらえば成立します。

このときウォーターマンは
新品のペンを用意していましたが、
サインをするときにインクが漏れ、
契約書に染みをつくってしまいました。

そこでウォーターマンは
急いで新しい契約書を取りに行きましたが、
その間に他の会社に契約をとられてしまいました。

もしペンがインク漏れしなければ
契約が取れたのに・・・。

この悔しい経験をきっかけに
ウォーターマンは世界で初めて
毛細管現象を応用した万年筆を開発しました。

毛細管現象とはミクロのような
細い空間を液体が浸透していく現象で、
植物が根から水や養分を全体に運ぶ
自然の力として存在しています。

ウォーターマンはこの原理を利用して
ペンの内部のインクをペン先に導く仕組みを
思いついたのです。

そして、翌年にウォーターマンは
この原理で特許をとって、
万年筆専用の会社をつくりました。

「このウォーターマンの万年筆は1895年、
 明治28年に東京の丸善さんが
 輸入して販売しました。

 これが日本で最初の万年筆の販売だそうです。」

<万年筆(ウィキペディア)>

『法律事務所』

鈴木杏樹さんのテレビ出演情報です。
以前にもお伝えしましたが、
1週間前になりましたので再度お知らせしておきます。


 2009年4月4日(土) 21:00~22:51
 土曜ワイド劇場
 『法律事務所(3)
  芦ノ湖畔高級別荘連続殺人事件!
  傷痕の無い死体・愛人、後妻、
  華麗なる一族の財産争い』
 (テレビ朝日)


前日に再放送もあります。


 2009年4月3日(金) 15:00~16:53
 『法律事務所(再)
  十字架型に重なる二つの死体
  乗馬クラブ殺人事件!
  ワカメが暴いた時間差トリック』
 (テレビ朝日)


<土曜ワイド劇場のHPはこちら>


あと、来週から日本テレビで
『光とともに・・・ ~自閉症児を抱えて~』
が再放送されるようです。

<詳細は日本テレビのHPにてご確認ください>

[3/27] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は出世魚のお話をしています。
 最終日はコハダでおなじみのコノシロです。」

コノシロは東アジアの内湾に生息する
ニシン科のお魚です。

このコノシロですけれども、
スズキとボラに似ていますけれども、
コノシロも河口の汽水域に
生息しているのだそうです。

「なんか出世魚って共通点がありますね」

コノシロですけれども、
名前の変わり方は関東では、
4cmから5cmの幼魚のことをシンコ、
7~8cmから10cmのものをコハダ、
12cmから13cm程度のものをナカズミ、
そして15cmの大きいものを
コノシロというふうに呼ぶのだそうです。

コハダと言うと、もうみなさん
おなじみだと思いますけれども、
お寿司屋さんでいただく機会が多いと思います。

コハダは酢で締めた切れ味のよい
そのコハダの握りというのは
江戸前握りの横綱とも言われていまして、
コハダの振り塩と酢締めの加減で
お寿司屋さんの評価が決まるというふうにも
言われているぐらいたいへんな握りです。

さて、そのコノシロの幼魚のシンコですけれども、
古くから江戸っ子にシンコは好まれています。

「シンコが登場してくるのは早くて6月の中頃から
 下旬頃でしょうかね、初夏ですね。」

江戸前寿司ではシンコの握りは
とても珍重されています。

ただ、お寿司屋さんにお話を伺いますと、
コハダに比べるとシンコのサイズがとても小さいので、
お寿司屋さんはその処理、仕事をするのが
ほんとに手間がかかるそうでたいへんなのだそうです。

「シンコは初夏から夏ぐらいまでが旬で、
 その後は成長してしちゃいますので
 コハダになっていくんですけれども。

 江戸のお寿司屋さんにお話を聞きましたところ、
 コハダってね、秋口から冬ぐらいが旬だって
 いうふうに聞いてたんですけれども、
 近年ではコハダがとれる場所によって
 1年を通して東京のお寿司屋さんでは
 コハダをいただけるんですって。

 最近ね、海水の温度も上がってますし、
 どこかしらでコハダって
 とれるんですって、日本各地で。

 なので、私たちはコハダをいつでも
 いただけるということだそうです。

 そういうわけで今週はいろいろなね、
 出世魚のお話をさせていただきましたけれども、
 全国各地それぞれ出世魚の呼び名が違ったりね、
 サイズ、サイズも違ったり、
 もうほんとに奥深いものがありましたね。」

<コノシロ(ウィキペディア)>

<コノシロ~市場魚貝類図鑑~>

[3/26] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は出世魚のお話をしています。
 ブリ、スズキと続いて、
 今日はボラのお話です。」

ボラは全世界の熱帯、
そして温帯の海に広く生息しています。

日本ではもうほとんどの全域に住んでいまして、
内湾とか汽水域(海水と淡水が混じっているところ)、
あと川などで広く生息しているということです。

基本的にこちらも海水魚なのですけれども、
幼魚のうちはやっぱり淡水域に
遡上することもあるという、
そんなお魚です。

ボラは1年を通じて釣ることができるので、
春ボラ、夏ボラなどという呼び方も
あるのだそうですけれども、
秋口から年末にかけての旬が最盛期だそうです。

そんなボラなのですけれども、
出世魚ですので成長とともに名前が変わります。

地域によって異なりますけれども、
一般的には2cmから3cm程度のものをハク、
3cmから5cmぐらいのものを
オボコと言ったりスバシリと言ったり、
15cmから30cmぐらいになるとイナ、
30cmから50cmぐらいでボラ、
そして、50cm以上の大きなものを
トドというふうに呼ぶのだそうです。

「とどのつまり」という言葉がありますよね。

これは、もうこれ以上大きくならない
というところから「行きつくところ」とか
そういう意味があるそうです。

だから、その「とどのつまり」の
語源になっているのが実は
ボラの成長したそのトドなのだそうです。

「動物のトドじゃないんですね。

 あと、『いなせ』っていう
 言葉がありますけれども、
 いなせの語源もこのボラの
 小さい頃のイナからきていて、
 若い衆のまげのね、青々とした剃り跡を
 イナの青いその灰色のような
 ざらついた背中に見立てて
 言ったそうですよ、いなせって。

 で、まげをはね上げてね、若者たちは
 その粋さを見せるためにですね、
 イナの背びれの形に見立てた
 というふうにも言われていて、
 いなせっていうのの語源もボラからきている。

 あと『おぼこ』っていう言葉も
 語源になってましてね、
 幼い様子とかかわいいっていうことを
 私関西のほうでは『おぼこい』って
 いうふうに言うんですけれども。

 昔の写真とか見て、
 『あー、おぼこいね』みたいな、
 『この頃おぼこかったね』とかって
 よく言うんですけれども、
 このおぼこっていう言葉も
 ボラの幼魚からきている。

 なかなかこのボラは面白い魚ですね。
 そういうわけでボラのお話でした。」

<ボラ(ウィキペディア)>

<ボラ~市場魚貝類図鑑~>

[3/25] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は出世魚のお話をしています。
 昨日は出世魚の代表格ブリのお話でしたけれども、
 今日はそのブリと並ぶ代表格のスズキです。」

スズキは秋から冬にかけて産卵します。

1年中おいしく食べられるお魚です。

島根県宍道湖ではスズキの
奉書焼きというものが有名で、
名物料理だそうです。

和紙にスズキを包んで時間をかけて
じっくりと焼き上げたお料理です。

スズキはブリと並ぶ出世魚でありますが、
呼び名はブリのように地域による違いが
ほとんどないのだそうです。

一般的には一番小さいのがコッパ、
その後30cm以下をセイゴ、
30cmから60cmぐらいのものをフッコ、
そして60cm以上のものがスズキ
というふうになるそうです。

関西ではこの真ん中の30cmから
60cmぐらいのフッコというものを
ハネとも呼ぶそうです。

「だからセイゴ→ハネ→スズキ
 っていうふうになるんですね」

実は、さらに大きくなったものの
呼び名というのもありまして、
1m以上の老体魚になりますと
それはオオタロウというふうに呼ぶそうです。

漢字で書きますと大きい太郎さんです。
大きい太郎で「大太郎」。

東海地方では60cm程度まで成長したものを
一律にセイゴと呼んでいるそうです。

「それ以上に成長したものをマダカと呼んでいて、
 だいたいその2つに分けて
 呼ぶことが多いということなので、
 スズキってあんまり言わないんですかね。

 同じスズキでもいろんな、
 やっぱり地域によって呼び名が違うんですね。

 スズキの魚ですけれども、
 名前だけでなくて成長にしたがって
 習性も生息場所も変わるお魚なんですね。

 ブリと同じように温帯性のお魚で、
 日本各地、あと東シナ海などで
 生息しているんですけれども、
 こちらのスズキさん(笑)、
 淡水と海水を行ったり来たりしている
 お魚なんですね。

 秋の終わりに河口にやってきて産卵しますね。

 そしてその稚魚、というか
 幼魚たちのセイゴになってくると
 川にね、上っていくんですって。

 だからその宍道湖でスズキがとれたり、
 あと今でもですね、利根川100km以上の
 河川でスズキが見つかったり、
 あと多摩川とか江戸川とか荒川とか
 東京地区の川でもね、
 見れるんですって、スズキが。

 スズキは夜行性の魚で
 昼間はあまり動かないという、
 そんなような性質も持っていたりして、
 なかなか興味深い魚だなと思って
 勉強になっています。」

<スズキ(魚)(ウィキペディア)>

<スズキのあれこれ>

[3/24] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は出世魚のお話をしています。
 出世魚の代表格といえばブリ。
 今日はブリについてお話しします。」

ブリは温帯性の回遊魚で日本各地、
東シナ海に生息しています。

夏には暖流、黒潮にのって
北上していって北海道辺りまで行って、
秋の終わりから冬にかけて
寒くなってくると南へ下り、
そのパターンを繰り返しています。

ブリは水温14度から15度というのを好むそうで、
その水温のところを求めて泳いでいるということです。

1年で30cmぐらい、2年で50cmぐらい、
3年で60cm、4年で70cm、
そして5年で80cm程度に成長して、
大きいものでは1.5mにもなるということです。

北陸では秋の終わり頃になると
猛烈な風が吹き荒れて
雷が激しく鳴るようになります。

富山湾ではこれを「ブリ起こし」と呼んでいて、
冬のブリ漁が始まる合図としているのだそうです。

毎年12月から翌年のこの時期まで
脂ののった最高のブリが水揚げされます。

この出世魚のブリなのですけれども、
最終的に名前がブリになります。

その前まではどういう名前かといいますと、
これは地方によってさまざまです。

その数というのは100種類以上も
あると言われています。

名前は成長によって変わってきます。

一例ですけれども、例えば関東地方では
10cmから20cmぐらいのものをワカシ、
40cmぐらいのものをイナダ、
60cmぐらいのものをワラサ、
そして、90cm以上のものを
ブリというふうに言うそうです。

だいたい90cmぐらいになるブリは
4~5歳、4年から5年に成長しているものを
ブリと言うそうです。

関西のほうですけれども、
これがまた言い方が違いまして
サイズも違います。

「15cmぐらいまでのものをツバスって言って、
 40cmまでがハマチ、ハマチです、あの。

 60cmまでをメジロ、で、それ以上が
 ブリっていうふうに呼ぶんですって。

 私今回知ったんですけれども、
 ハマチって関西の呼び名だったんですね。

 普通にハマチっていうものが
 普通に存在していたので、
 関東ではブリの中に、
 ブリの出世魚の名前の中に
 ハマチが入ってないっていうことに
 ちょっと衝撃を受けました。

 いろいろですね、地域によってね。

 では、今日はそういうわけで
 ブリのお話をさせていただきました。」

<ぶり 出世魚>

<ブリ(ウィキペディア)>

[3/23] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「春は進学、進級、あるいは就職など
 次なるステップへの季節でもあります。
 魚の世界には成長のたびに
 名前が変わるものもいます。
 今週はそんなお話です。」

成長とともに名前が変わる魚は
出世魚と呼ばれています。

昔から縁起のよい魚とされています。

日本には江戸時代まで
元服(げんぷく)という儀式がありました。

これは武士などが成人になったと認められると、
幼い頃の名前とは別に新しく
公式の場で名乗る名前を与えられ、
そしてお祝いをしたそうです。

名前が変わるたびにどんどん出世した
代表的な人物といえば、
日吉丸から藤吉郎、そして最後は秀吉と改名して
天下統一を達成した豊臣秀吉です。

そんな大きくなるまでの間に
何度か名前が変わるという出世魚ですけれども、
代表的なのはブリ、スズキ、ボラなどです。

こうしたお魚は縁起のよいお魚として
古くから贈り物とされていました。

地域によっては現在でも七五三や入学、
仕事での昇進などのお祝いや
門出を祝う席などのお料理として使われています。

また、親戚やお友達のお祝いのときに
出世魚を贈るという風習が
あるところもあるそうです。

実は、海外にも出世魚というのはあるそうです。

古代ギリシャ、アリストテレスという
哲学者であり、科学者である方なのですが、
その人はイワシの生態を研究していらっしゃいまして、
イワシは出世魚だというふうに報告しています。

「こんな大昔から出世魚っていたんですね。

 また、私も住んでいましたイギリスでは
 鮭が出世魚なんですね。

 孵化食後はフライ、『fry』なので
 フライですね、フライ。

 あるいはアレバン(alevin)、
 アレバンって感じですね。
 アレバンって呼ぶんですって、稚魚ですね。

 その後体に黒い斑点が現れてパーって呼ぶんです。
 『parr』、パールって言うのかなぁ、
 パーって呼ぶんですね。

 やがてその若い魚たちが海に降りる頃には
 その黒い斑点が消えて、
 銀白色の私たちお馴染みのあの鮭の色になって
 サーモン(salmon)になるんですって。

 だから3回ぐらい名前が変わるということで、
 イギリスにもね、
 出世魚があるんだなぁと思いました。」

<出世魚(ウィキペディア)>

[3/20] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は美術館のお話をしています。
 今日は京都にあります
 とってもユニークな美術館です。」

京都といいますと歴史と伝統がある街ですが、
そんな京都にありますのが
京都国際マンガミュージアムです。

「マンガの美術館なんですね」

二条城や京都御所などが近くにあります
中京区烏丸御池にあります。

京都観光のついでに
立ち寄る方なんかも多いそうです。

この京都国際マンガミュージアムは
京都市と京都精華大学が共同で運営しています。

オープンしたのは2006年の秋です。

国内外のマンガに関する貴重な資料を集める
日本で初めての総合的なマンガミュージアムです。

建物はもともとあった小学校の
戦前からの校舎を活用して
当時の雰囲気も残してあります。

2008年には国の登録有形文化財にも
登録されているという建物だそうです。

長年地域のシンボルであった
小学校の役割を引き継ぐという表れでも
あるということです。

保存されているマンガの資料ですけれども、
明治の雑誌や戦後の貸本などの
貴重な歴史資料や現在の人気作品、
さらに海外のものまでおよそ30万点。

館内ならどこでマンガを読んでも
かまわないそうです。

館内に入りますとすぐ目に飛び込んできますのが
「マンガの壁」と名付けられたマンガの本棚。

作者の50音順で単行本が
びっしり詰め込まれています。

1階には絵本を集めた子ども図書館。

2階は少女マンガが中心で、
お母さんと女の子が一緒にマンガを読む
という光景があちこちで見られるそうです。

3階は青年マンガが中心だそうです。

開館時間ですけれども、朝10時から夜6時。
毎週水曜日が休館です。

入場料は大人500円、中高生が300円、
小学生は100円です。

一度チケットを購入すれば
その日のうちなら何度でも再入場できます。

そして、子供さんたちの
年間パスポートも発行されていて、
常連さんも多いそうです。

この京都国際マンガミュージアムの館長さんは
『バカの壁』のベストセラーでお馴染みの
東大名誉教授の養老孟司さんが
やっていらっしゃるということです。

「今週1週間、美術館のお話を
 お届けしましたけれども、
 いかがでしたでしょうか。

 私はもう海外でも国内でもほんとによく
 美術館に足を運んでいるんですけれども、
 ほんとにね、好きですね。

 絵は描けないんですけど、
 見るのは好きですね。」

<京都国際マンガミュージアム>

[3/19] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は美術館のお話をしています。
 今日は平山郁夫さんの美術館です。」

平山郁夫さんは画家であり、
東京芸術大学の学長を
務められた経験もお持ちの方です。

他にも文化財赤十字構想を掲げ、
世界の文化遺産の保護活動にも
精力的に取り組んでおられます。

平山郁夫さんは実は広島県のご出身です。

小さいころから絵が大好きで、
戦争中で物資が不足していた時も
絵を描いていれば空腹を忘れることが
できたということです。

17歳のときに現在の東京芸術大学に入学。

本格的に絵の勉強を始めて、
卒業後も大学で助手を務めて
いらっしゃいましたけれども、
1959年、29歳の頃原爆後遺症で
一時は死も覚悟されたそうです。

実は、平山さんは中学校の3年生のときに
被爆をした経験があったのです。

死の恐怖と闘いながらも平山さんは
絵の情熱というのを失いませんでした。

やがて東京オリンピックの聖火を
シルクロードを通ってという新聞記事に
ヒントを得て描きあげた「仏教伝来」という作品が
大きな評価を受けたのです。

当時平山さんは

 死ぬまでに一作でいいから
 平和を祈る作品を残したい

というふうに思っていらっしゃったそうで、
その願いからこの作品が生まれたということです。

その後平山さんは主に
仏教をテーマにした絵を描いて、
シルクロードにも何度も訪れていらっしゃいます。

そんな平山郁夫さんの
少年時代に描いた絵などを含めて、
数々の作品を展示しているのが
平山郁夫美術館です。

場所は平山さんの故郷であります
瀬戸内海に浮かぶ生口島(いくちじま)です。

その生まれ育った生口島の青い海と
緑に囲まれた自然というのが
平山郁夫さんの美意識とか感性をはぐくんで、
画家としての原点にもなっているということです。

また、山梨のほうなのですけれども、
八ヶ岳のふもとには平山郁夫シルクロード美術館
というのもあります。

12月下旬から3月の上旬までは
冬季休館していたのですけれども、
現在は開館しています。

こちらでは平山さんの作品の他に、
平山さんがシルクロードを訪れるたびに
集めていらした9000点にも及ぶ
美術品というのも展示されています。

「もうね、雪も溶けて春ですので、
 ぜひぜひみなさんも機会がございましたら
 足を運んでくださいね。」

<平山郁夫美術館>

<平山郁夫シルクロード美術館>