[2/23] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今日お話する主人公は、目が不自由になって
 1年経ったスーザンという女性です。
 そんなスーザンを支えたのは
 軍人で夫のマークの見えない愛でした。
 今日はそのお話をします。」

視力を失ってからスーザンの心は
すっかり閉ざされ、苛立ちの毎日でした。
それでも夫のマークの励ましもあって、
スーザンは仕事に復帰する決心をしました。

でも、問題はどうやって毎日職場に通うかでした。
以前はバスを使っていましたが、一人では無理なので
マークが毎日車で職場まで送り迎えをしていました。

でも、しばらくしてマークは
このままではお互いによくないと気づきました。

「自分一人でバスに乗ることを覚えないとダメだ」

とスーザンに言ったところ、スーザンは

「私は目が見えないのよ!
 あなたはもう私の面倒を見るのが嫌になったのね。」

と怒り出してしまいました。

それでもマークは心を鬼にして
スーザンにバスに乗ることをすすめて、
その代わりに一人で乗れるようになるまでは
毎日一緒にバスに乗る約束をしました。

それから2週間、マークは毎日スーザンの
送り迎えをしながら新しい環境に慣れさせました。

やがてスーザンに笑顔が戻り、
ある日スーザンは

「翌週から一人でバスに乗ってみる」

と言いました。

月曜日の朝、スーザンは一人で出勤していきました。
スーザンはもう一人でもちゃんとバスに乗ることができました。

そして迎えたその週の金曜日の朝、
スーザンはいつものようにバスに乗りました。
バスを降りようとしたとき運転手さんが言いました。

「あんたはいいねぇ」

不思議に思ったスーザンは運転手さんに聞きました。

「どうして『いいねぇ』なんて言うんですか?」

「だってあんたみたいに大切にされて守られていたら
 さぞかしハッピーだろうなって思ってさ」

「どういう意味なの?」

「今週ずっと毎朝ハンサムな軍人さんが
 通りの向こうに立ってあんたが
 バスを降りるのを見守っていたんだよ。
 あんたが無事に通りを渡って
 オフィスの建物に入っていくのを確かめていたんだ。
 そのあと彼は君にキスを投げて
 小さく敬礼をして去って行った。
 あんたは本当に幸せな女性だよ。」

その話を聞いた瞬間、幸せの涙がスーザンの頬を伝わりました。


「というわけで、今週は心温まるお話をお届けしました。
 どのお話にも私は胸がいっぱいに
 なってしまいましたけれども、
 みなさんはいかがでしたでしょうか?」

ほんとに今週のお話は全部よかったですね。
いつかまた心温まるお話特集をして欲しいです。 (^o^)/

[2/22] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「人は皆、この世に生まれた以上誰もが平等です。
 でも、実際にはまだまだ人種差別や偏見があります。
 今日は人種差別の中起こったある出来事のお話をします。」

これは南アフリカ・ヨハネスブルグと
イギリス・ロンドン間を結ぶ
ブリティッシュ・エアウェイズの
フライトで実際にあったお話です。

中年の白人女性が、黒人の男性の
隣の席を割り当てられました。
明らかにこれに不満を持ったその女性は
フライトアテンダントを呼びました。

「お客さまどうかされましたか?」

「これを見てわからないの?
 私は黒人の隣に座らされているのよ。
 納得がいかないわ。
 他の席と取り替えてちょうだい!」

興奮気味に話す女性にフライトアテンダントは

「落ち着いてください。
 このフライトは満席だと思いますが、
 他の席が空いているかどうか調べてまいります。」

というふうに答えました。

そして、数分後に戻るとその白人女性に言いました。

「お客様、残念ですが私の予想通り
 エコノミークラスには空席はございませんでした。
 機長に伺いましたところ、ビジネスクラスも満席です。
 でも、ファーストクラスに1つだけ席が空いておりました。」

それを聞いた白人女性は何かを言おうとしましたが、
それを遮るようにフライトアテンダントは続けて言いました。

「エコノミークラスからファーストクラスに席を移すのは
 当社としては異例のことですが、
 機長はお客様をこれほど失礼な方の隣に座らせるのは
 言語道断だと申しております。」

そして、フライトアテンダントは
隣の黒人の男性に向かって言いました。

「そういうことですので、もしよろしければ
 お荷物をまとめてファーストクラスにお移りください。」

その瞬間周りの乗客たちはビックリしていましたが、
すぐにみんな立ち上がって拍手喝采を送りました。


今日のお話はとってもおもしろかったです。
こういうお話、大好きです。 (*^_^*)

[2/21] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今から3年前、2004年10月23日、
 新潟県を大きな地震が襲いました。
 51人もの尊い命を奪った新潟中越地震です。
 突然の災害から16日後、
 一番被害が大きかった山古志村のみなさんは
 ある光景を目にしました。
 それは何だったのでしょうか?」

山古志村でマリという犬が幸せに暮らしていました。
2004年10月23日早朝、マリは3匹の子供を産みました。
そんなマリを新潟中越地震が襲ったのです。

建物は崩れ、地割れが起こる中、
マリの家では寝ていたおじいさんが倒れたタンスの下敷きになり
身動きができなくなっていました。

そんなおじいさんのところに
傷だらけになったマリがやってきて
頑張ってと励ますようにおじいさんの顔を舐め続けました。
そんなマリを見るうちにおじいさんは生きる希望を取り戻します。
そして、必死にタンスの下から抜け出すと、
3匹のかわいい子犬たちもマリに守られて無事でした。

ところが、村に続くすべての道は寸断され、
携帯電話も通じない状態。
村の人は全員避難するように命じられます。

自衛隊の救援ヘリが到着しましたが、
残念なことにペットをヘリに乗せることはできませんでした。
おじいさんはできるだけのことをしようと
あるだけのエサを残してヘリに乗りました。

まだまだ余震が続く中、マリは3匹の子犬たちを守るため
エサを隠すための穴を掘り、懸命に生き抜こうと頑張りました。

地震から16日後、一時帰宅が許された
おじいさんが山古志村の自宅に戻ったとき、
縁の下で見たものはすっかり痩せ細ってしまったマリと
逆に丸々と太った3匹の子犬たちでした。

そして、おじいさんは今度はマリと
3匹の子犬たちと一緒にヘリで村を離れました。
その後3匹の子犬たちはそれぞれもらわれていき、
すくすくと元気に育っているそうです。

そして、お母さんのマリも今も元気でいるんだそうです。

<「山古志村のマリと三匹の子犬たち」の経過>

↑ 今年映画化されるんですね。 \(^o^)/

[2/20] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今週は本当にあった心温まるお話をご紹介しています。
 子供の頃についしてしまった過ち、
 それが大人になった今も
 心の中にずっと引っかかっているとしたら
 あなたならどうしますか?
 今日はそんなお話です。」

30数年前に、小岩駅近くのおもちゃ屋さんから
キューピー人形を盗んでしまいました。

今から20年前、1987年の秋
東京のJR小岩駅前交番に500円札1枚を同封した
1通の手紙が届きました。

手紙によると差出人は女性で、
子供の頃に小岩駅近くの川沿いに露店が並んでいたそうで、
その中の一軒で60歳くらいのおばあさんが
セルロイド製のおもちゃを売っていて、
この差出人の女性は昭和30年代初めに
10円のキューピーちゃんの人形を盗んでしまった、
ということでした。

この当時、キューピーちゃんの人形は
女の子の間ですごい人気で、
欲しくても買ってもらえない子もたくさんいたそうです。

子供の出来心とはいえ、
この女性はずっと過ちを後悔していて、手紙には

「早く返せばと思いながら今になってしまいました。
 どうか償いとしてお金を渡してください。」

という強い願いが書かれていました。

さっそく交番では、
同封されたお店の地図を頼りに聞き込みを始めましたが、
何しろ30年以上も経っていますので、
地図にある川も露店街もすっかり姿を消していました。

何の手がかりもない中、おまわりさんは
何とかしてこの女性の気持ちを親族にでも届けたい
と探し続けていたところ、このお話が新聞に載って、
それを読んだ53歳の方から
新聞社に電話がかかってきたそうです。

その方はおばあさんのお孫さんで、
そのおばあさんは30年前に亡くなったんだそうです。
さっそく交番で預かった500円をその方に送ったところ、
仏壇のおばあさんに見せて報告した後、
福祉に役立てて欲しいと寄付されたそうです。

30年以上もの時を越えて、
やっと子供の頃の過ちをお詫びすることができました。

[2/19] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「受験で試験会場に行くときに間違って
 自分が降りる駅には止まらない電車に乗ってしまって、
 乗り換えると試験時間に間に合わない・・・
 そこでその事情を知った車掌さんが
 好意で通過するはずの駅に臨時停車したというお話、
 みなさん覚えていらっしゃいますでしょうか?
 こうした心温まるお話というのは
 世の中にはいくつもあります。
 今週はそんなお話をご紹介したいと思います。」

静岡に住むある男性はがんで2度入院しました。
ある日病室で新聞を読んでいると、
そこには東京にあるフォーク酒場の記事が載っていました。
自分と同じくらいの年齢の人たちが
楽しそうにギターを弾きながら
青春時代に夢中になった曲を歌っている。

その写真を見た瞬間、
「絶対に元気になって退院したらそのお店に行くんだ!」
と心に誓ったのです。

そして、見事病気に打ち勝ったその男性は
奥さんと2人の娘さんを連れて
静岡から東京のそのお店にやって来ました。

「実はがんで2度入院しましたが、
 このお店のことを知って
 退院したら絶対来るって今日まで頑張りました。
 そしてついに来れました!」

その瞬間、お店の中は大きな拍手と歓声で包まれました。

そして、その男性はお店のスタッフの方に
ギターで伴奏をしてもらいながら気持ちよさそうに
松山千春さんの『恋』という歌を熱唱しました。

そんな元気になったお父さんの姿に
2人の娘さんはうれしそうに何度も
カメラのシャッターを押しました。

そして、娘さんのキーボードの演奏で
ステージで他のお客さんがビートルズの
『レット・イット・ビー』を歌い始めると、
その男性も客席で立ち上がって
周りのお客さんと一緒に大合唱しました。

病室の新聞で見た風景の中に自分がいる。
そんなお父さんをやさしく見守る家族。
4人が帰った後、
外は寒くてもお客さん全員の心には
春の暖かい風が吹いていました。

いいお話ですね~ (^o^)/

ずっと気になっていること

杏樹さんの所属事務所のHPにこんな記述があります。

> 【鈴木杏樹 最新情報】 (06/11/21 更新)

> ★ドラマ
> 9月放送予定 テレビ朝日 『湘南探偵事務所』

9月というのは今年の9月ではなく、
昨年の9月に放送予定ということでした。

この『湘南探偵事務所』、
オンエアはいつなのでしょうか?

ずっと気になっています・・・

スタッフの方、教えてください! m(_ _)m

[2/16] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「チョコレートは、最初はカカオからできた飲み物でした。
 そして、神様の食べ物とされて大変貴重でした。
 また、チョコレートにはさまざまな病気の原因と
 言われている活性酸素の働きを抑えるという
 ポリフェノールがたくさん含まれているんですって。」

チョコレートにはさまざまな効果があるそうです。
例えば、チョコレートの香りは
集中力や注意力、記憶力を上げることが
人間の脳波や学習実験から確認されたんだそうです。
駆けっことかで「よ~い、ドン!」で走るときも
チョコレートを食べてからスタートすると
反応が良くなることがわかったのだとか。

また、チョコレートというのは
カルシウム、マグネシウム、鉄、亜鉛などの
ミネラルが豊富に含まれていて、
栄養バランスの取れた食べ物なんだそうです。
特に注目したいのは、カルシウムとマグネシウムの
バランスが優れていることです。
意外ですね。

チョコレートのことで
よく誤解されていることが何点かあります。

例えば、「チョコレートを食べると鼻血が出る」

これは医学的にはチョコレートと鼻血は関係ないそうです。
そういうイメージがありますけど関係ないんですね。

「チョコレートを食べるとニキビができる」

これも何故だか根拠がないことだそうで、
大学の実験でもチョコレートとニキビの悪化は
関係ないことが証明されているとのことです。

そして、「チョコレートを食べると太る」

そういうイメージがあるかもしれませんが、
これも医学的には根拠がなくて、
もし関係あるとしたら過剰に食べたとき。
まぁこれはチョコレートに限らず
全部の食べ物に言えることですよね。

あとは、「チョコレートを食べると虫歯になる」

これを言っちゃ可愛そうでしょ!みたいな(笑)
これは医学的に根拠はなくて、
食べた後に歯磨きをしないとか
そういう原因があるんじゃないかと言われています。
それはそうですよね。

最後に杏樹さんからこんなコメントが・・・

「雪山で遭難したときとか
 持っていたチョコレートのおかげで
 体力を消耗せずに済んだというお話なんか
 よく聞きますよね。
 きっと栄養価が高いんだと思います。
 まぁ、チョコレートの香りがね、
 集中力とか記憶力を上げてくれるということですので、
 例えばみなさんお仕事前とか何かお勉強するときとか、
 私なんかだと台本覚えるときとかお芝居するときとか、
 香りを一度嗅いでからやってみると
 集中力がアップするかもしれません。
 一回みなさんぜひ試してみてください。
 私もやってみます。」

みんなでやってみましょう! (^o^)/

<チョコレートの栄養機能(ニ鶴堂さんのHP)>

<チョコレートについてのよくある質問>

[2/15] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「最近チョコレート専門のお店も増えてきましたよね。
 同時にいろいろチョコレートに関係する
 言葉とか名前も聞かれるようになりました。
 今日はそのお話をしたいと思います。」


【ショコラトリー】

これはフランス語でチョコレート専門店のことだそうです。
ショコラトリーって言うんですね。


続いてチョコレートの種類について。


【板チョコレート】

これは名前のとおりチョコレートを板状にしたものをさします。


【エンローバー(被覆)チョコレート】

これはビスケットとかウェハースなどを
覆ったチョコレートのことで、
例えばキットカットなどがこれにあたりますね。


【ホローチョコレート】

これは中が空洞になっていて卵の形をしているチョコレート。
中に人形とか模型とかが入っていて、
よくハロウィンのときとかに食べたりする
チョコレートなんじゃないでしょうか。


【ガナッシュ】

よく聞きますよね、最近。
溶かしたチョコレートにたっぷりの生クリームを加えたり、
または温かい生クリームにチョコレートを溶かし込んで作る
口溶けの良いチョコレートなんですって。
つまり、柔らかいチョコレートを
硬いチョコで包んだタイプですね。

この中身の包む前の柔らかい状態のチョコを
そのまま食べられるように改良したのが生チョコレート。
この生チョコレートは何と日本人が開発したんですって。
日本発祥なんですね、この生チョコレート。


【トリュフ】

高級食材トリュフに似せて作ったチョコレート。
さきほど登場したガナッシュを入れたりして
いろいろな形のものがあります。


【プラリネ】

お砂糖を熱してカラメル状にして、
ローストしたアーモンドとか
ヘーゼルナッツを混ぜ合わせて、
すりつぶしてペースト状にしたものを
溶かしたチョコレートに混ぜたもの。


【ドラジェ】

アーモンドをチョコレートとお砂糖でコーティングした
フランスのお菓子です。


「たくさんまだあるんですけれども、
 でも、チョコレート用語って
 時々チョコレート屋さんに行くと
 『あれ何だっけなぁ』と思うときありませんか?
 お店の方に『これどんなチョコレートですか?』
 なんて言うと
 『あっ、こちらプラリネでございます』って言われて
 『あ~そうですか~』みたいな(笑)
 『なんだっけプラリネって』って思いながら
 聞けなかったりすることって多くないですか?
 今日はみなさんにおわかりいただけたらなぁと思います。」

と、最後に杏樹さんが楽しそうにおっしゃっていました。


<日本チョコレート・ココア協会~チョコレート編~>


今回紹介されたチョコレートの写真が見られますよ~
他にもいろんなチョコレートがありますので、
お時間のあるときに覗いてみてくださいね。 (^o^)/

[2/14] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「いよいよ今日はバレンタインデーですね。
 お母様方、女の子たち、準備万端ですか?
 本気で告白するあなたの恋が叶いますようにということで、
 今日はバレンタインデーのお話をしたいと思います。」

日本では、バレンタインデーは女性から男性へ愛情の証として
チョコレートを贈るという習慣がありますよね。
バレンタインデーとはそもそもどういう日なのでしょうか。

もともとは3世紀、時のローマ皇帝の怒りを買って
殺されてしまったバレンタイン司祭の亡くなった日
というのが今日の2月14日なんです。

では、どうしてそのバレンタイン司祭は
皇帝に殺されてしまったのでしょうか?

当時皇帝は結婚すると兵士の士気が下がるということで、
兵士の結婚禁止令というのを出しました。
でも、当然兵士は納得できません。
そこで、バレンタイン司祭は命令に背いて
次々と兵士を結婚させたんだそうです。
そのため皇帝の怒りを買って
バレンタイン司祭は殺されてしまったんですね。

ですので、本来は2月14日というのは
そのバレンタインさんの魂を慰める日なのですが、
命令を背いてでも愛を成就させたバレンタイン司祭の
気持ちが根強く残ったからなのでしょうか、
やがてこの日に愛の告白をしたり、
プロポーズの贈り物をする日になっていきました。

そんなバレンタインデーの風習を
日本に初めて紹介したのは
神戸にある洋菓子店のモロゾフさんです。
モロゾフさんは1936年2月12日、英字新聞に
花束やカードとともにチョコレートを贈る風習がありますよ
と広告で紹介をしたんだそうです。

そして、1958年の2月、
東京のメリーチョコレートさんが
新宿のデパートに「バレンタインセール」という看板を出して
板チョコとカードを販売したんだそうです。
でも、日本では最初はなかなか売れませんでした。
ただ単にチョコレートを贈ろうと言うだけでは
売れなかったんですね。

そこで、翌年にはハート型のチョコレートにして
年に一度女性から男性へ告白してよい日というような
キャッチコピーを作って売ったところ大成功したそうです。

ということで、今は日本のバレンタインデーと言いますと、
チョコレートを女性から男性へ贈って、
そして愛の告白をすると、
そんな日になったと言うことです。

<バレンタインデー(ウィキペディア)>

[2/13] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

今日はチョコレートの歴史のお話です。

紀元前400年頃から
メキシコ南部を中心にマヤ文明が栄えました。
マヤ文明は16世紀まで続きましたが、
このマヤ文明の遺跡から、チョコレートの原料のカカオが
栽培されていたことが実証されているそうです。

冒険家のコロンブスが16世紀初めに
マヤ人からカカオ豆をもらい、
スペインの王様に差し上げたという記録も残っていて、
やがてスペインの宮廷でチョコレートが普及しました。

当時のチョコレートというのは食べ物ではなくて、
まだ飲み物だったんだそうです。
味はとっても濃くて、必ず水をチェーサーにして
飲んでいたとのことです。
それでも、この飲むチョコレートというのは
貴族の飲み物として高級品だったそうです。

やがて、そんなチョコレートは
ヨーロッパの他の国にも伝えられますが、
今のような食べるチョコレートに変わったのは
19世紀半ば、イギリスで
チョコレートを固める技術が開発されて、
これをきっかけにイギリス国内で次々と
チョコレートが作られるようになったんだそうです。

ということは、私たちが食べている
固まっているチョコレートというのは
イギリスでそもそも生まれたんですね。

でも、当時のチョコレートの味は苦かったため、
スイス人のアンリ・ネスレさんはコンデンスミルクを使った
ミルクチョコレートというのを発明しました。
ネスレといえばキットカットでお馴染みですね。

その後、さらにいろいろな人の手で
チョコレートの開発が進められて、
舌触りがざらざらしていたのがどんどん滑らかになって、
おいしいチョコレートになっていきました。

日本では江戸時代の終わりに
飲むチョコレートが長崎に伝わりました。
そして、明治時代には政府の代表が
フランスのチョコレート工場を見学した
という記録も残っているそうです。

それから現在のチョコレートになっていきますが、
東京の風月堂さんが新聞にチョコレートの広告を
初めて載せて、これが日本で最初の
チョコレートの販売だと言われているそうです。

<マメ知識>
 ちなみに、当時は「猪口令糖」という当て字で
 新聞に報道されたそうです。

このとき風月堂さんが販売したのは、
飲み物のチョコレートではなくて
食べるチョコレートだったそうです。

杏樹さんもおっしゃっていましたが、
ほんとにいろいろと勉強になりますね。

<チョコレートの愉しみ方ガイド>

鈴木杏樹さんのファンブログです (公式ブログではありません)