[3/12] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった』
 これはノーベル賞作家、川端康成の小説
 『雪国』の有名な冒頭の一節です。
 まさにトンネルの向こうには別世界がありました。
 そこで、今週はトンネルのお話をしたいと思います。」

川端康成の小説「雪国」に登場するトンネルは
上越線の群馬県と新潟県の間にある清水トンネルのことです。

このトンネルの手前には案内板がありまして、

「このトンネルは大正11年に着工され、
 9年の長い歳月を費やし昭和6年に完成した。
 当時は日本最長のトンネルであった。

 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
 夜の底が白くなった。

 雪国より」

と書かれているそうです。

この案内板に書かれているように
清水トンネルは開通まで9年かかりました。

昭和6年9月1日、全長9702mという
当時の日本最長のトンネルが誕生しました。
この長さは当時の世界第9位の記録だったそうですので
本当に長いトンネルだったんですね。

群馬と新潟の県境には谷川岳という大きな山があり、
その山の影響で冬は新潟県側はたくさんの雪が降り、
逆に群馬県側は雪は降らないものの
冷たい北風が吹き荒れています。

川端康成が清水トンネルを通ったのは
開通から3年後の冬だったのですが、
トンネルを抜けた瞬間にがらりと変わる世界には
本当に驚いて感動したんだそうです。

その後、昭和42年には
全長13490mの新清水トンネルができて、
そして、昭和57年には
全長22221mの大清水トンネルというのが開通して
新潟と東京はぐっと近くなりました。

「一番最初にお話した清水トンネルですけれども、
 現在は上り列車専用のトンネルになりまして、
 大清水トンネルは上越新幹線専用の
 トンネルなんだそうです。
 もう22221mとか言われても
 想像つかないぐらいすごいですよね。
 22kmってことですよね。
 もう想像つきません・・・(笑)」

<「雪国」について(ウィキペディア)>

<清水トンネルについて(ウィキペディア)>

[3/9] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日ご紹介しました『旅立ちの日に』は、
 全国の学校で歌われる卒業式の定番ソングです。
 そしてもう1曲、この歌も卒業式で歌われています。
 今日はそのお話です。」

~ ♪ 「大地讃頌」が流れてきます ~

その歌とは、この「大地讃頌」(だいちさんしょう)です。

作詞は詩人で翻訳家の大木惇夫さん、
そして作曲は作曲家の佐藤眞さんです。

もともとは混声合唱とオーケストラのための
合唱曲「土の歌」の最終の第7楽章として
昭和37年に作られました。

第1楽章「農夫と土」では土への感謝が描かれて、
最後を飾る第7楽章、この「大地讃頌」では
大地への限りない祈りが歌詞に込められています。

もともと7つある楽章のうちの1つなのですが、
この「大地讃頌」は独立して演奏される機会が多く、
1980年代以降はいろいろな音楽の本にも登場しています。

合唱曲ですので、よく中学や高校の
合唱コンクールで歌われているそうですけれども、
それがいつの間にか卒業式の定番ソングとして
全国各地の学校で歌われるようになりました。

「ということで、今週は卒業式に歌われる歌を
 お送りしてまいりましたけれども、
 どうでしょうか、みなさん、
 もしご自身が歌われた思い出のおありの方は
 メロディーを聴いて「はっ!」ってその瞬間に戻って
 懐かしんでいただけたのではないでしょうか?
 こういう卒業式にまつわる歌たちっていうのは
 きっとこれからも新しく生まれてくる歌とともにね、
 今後何世代にも歌い継がれていって
 輝き続けていって欲しいなぁって、
 ほんとにそういうふうに思いました。」

<「大地讃頌」について(ウィキペディア)>

<「大地讃頌」のメロディーを聴いてみる>

[3/8] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「今から16年前、ある中学校の
 校長先生と音楽の先生によって
 卒業生におくる歌が作られました。
 その歌はやがて全国の学校で歌われる
 卒業ソングになりました。
 今日はそのお話をします。」

~ ♪ 「旅立ちの日に」が流れてきます ~

その卒業ソングとは「旅立ちの日に」という曲です。

埼玉県の秩父にある影森中学校は、
1990年当時は非行にはしる生徒さんが
たくさんいたそうです。
クラスのまとまりがなく、生徒の服装も荒れる中
当時の小嶋登校長先生は考えました。

大きな声で歌える学校にしよう、
歌声の響く学校にしよう、
荒れた生徒たちの心を取り戻そうと
影森中学校では合唱の機会が増えていきました。

最初は小嶋校長先生の思いというのは
なかなか生徒さんたちに伝わりませんでした。
でも、少しずつですけれども
生徒さんたちの心には変化が見られてきて、
ついには校内に歌声が響くようになったんだそうです。

そして迎えた91年の3月、
定年を控えた小嶋校長先生は
卒業生を送る会の出し物として
先生全員で歌う歌を作りました。
詞は一晩で書き上げて、次の日には
音楽の坂本浩美先生が曲をつけました。

完成したこの「旅立ちの日に」を聴いた卒業生は感動して、
この年定年を迎えた小嶋先生は
学校を去っていらっしゃいました。

でも、この歌は思い出とともに語り継がれて、
翌92年には卒業シーズンを前に
音楽雑誌が譜面を載せたんだそうです。

それによってこの「旅立ちの日に」という曲は
全国の学校で演奏されるようになって、
卒業生を送るためではなくて
卒業生自身が歌う歌になりました。

そして昨年2月、影森中学校には
この「旅立ちの日に」の歌碑が完成したんだそうです。

「卒業生を送る会として先生方全員で
 卒業生のために歌ってくれる学校っていいですね。
 なんかあったかいなぁって思います。
 小嶋校長先生はきっととても温かい方なんでしょうね。」

<「旅立ちの日に」について(ウィキペディア)>

<「旅立ちの日に」のメロディーを聴いてみる>

[3/7] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「『蛍の光』、そして『仰げば尊し』は
 卒業式の定番ソングですけれども、
 他にも古くから卒業の歌があります。
 今日はそのお話です。」

~ ♪ 「卒業の歌」が流れてきます ~

今聞いていただいているのは
「卒業の歌」という名前の曲です。
昭和8年、当時の尋常小学校の
6年生用の音楽の教科書に登場しました。

この「卒業の歌」という曲ですけれども、
作詞作曲者が不詳でわからないそうです。

「賛美歌っぽいきれいな曲調ですね」

そしてこのとき、5年生用の音楽の教科書には
この歌が登場しました。

題名は「卒業生を送る歌」です。

~ ♪ 「卒業生を送る歌」が流れてきます ~

「今日おかけしているこの2曲は、
 昭和初期の曲ということもあって
 レコードなんですけれども、
 こういう古き良き唱歌、この貴重な音源をね、
 これから先もずっと残し続けて欲しいなって言いますか
 忘れ去られないで欲しいなっていうふうに思いました。」

今日は歌が長めに流れましたので、
お話はいつもより短かったです。

<「卒業の歌」の歌詞はこちらです>

<「卒業生を送る歌」の歌詞はこちらです>

[3/6] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「昨日お話した『蛍の光』と並んで
 よく歌われるのが『仰げば尊し』です。
 今日はそのお話です。」

~ ♪ 「仰げば尊し」が流れてきます ~

「蛍の光」が日本に登場したのは
明治14年のことでしたけれども、
この「仰げば尊し」はそれから3年後、
明治17年のことです。

翌年には、現在の東京藝術大学の卒業生を送る演奏会で
「仰げば尊し」が歌われました。

でも、この歌詞になるまでには
何人もの学者や作詞家の方々が試行錯誤して
かなりの時間がかかったんだそうです。

どうしてかと言いますと、先生のことを無理に
「恩師」と言わせるのは果たしていかがなものか
という議論があったからなんだそうです。

ここ数年、卒業式で生徒に「仰げば尊し」を歌わせるのは
学校側の強制だということで、
歌うことを拒否している学校が増えているんだそうです。

「仰げば尊し」が学校の卒業式で歌われないというのは
なんとなく寂しいですけれども、
先生と生徒さんの心が離れてきているからなんでしょうか。

「でも、学校ってたぶん社会に出る前の
 一番最初の同世代とか目上目下の他人との心の交流を
 ある意味学ぶ場所でもありますからね。
 こういう現象っていうのは寂しいなって
 ちょっと思うんですけれども、
 なんか純粋に『仰げば尊し』を歌えるような
 世の中になるといいですよね。」

<「仰げば尊し」について(ウィキペディア)>

<「仰げば尊し」のメロディーを聴いてみる>

[3/5] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「毎年この時期になると
 『あぁ、この人は卒業生なんだなぁ』
 と一目でわかる学生さんの姿が目に付きます。
 幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、
 そして専門学校からの卒業もあります。
 そんな卒業式のときに流れる歌には
 いろいろなエピソードがあります。
 今週はそんなお話をします。」

~ ♪ 「蛍の光」が流れてきます ~

卒業式のときに歌われる歌、初日の今日は「蛍の光」です。

この「蛍の光」の原曲はスコットランド民謡だと
よく言われていますよね。
原曲の題名は「過ぎし日」を意味する
スコットランド地方の方言です。

スコットランドの詩人ロバート・バーンズの作詞で、
詩の内容は友達との別れを歌ったものです。
古くからイギリスやアメリカで別れる人を見送る歌として
歌い継がれています。

日本では明治14年、日本最初の音楽の教科書
「小学唱歌集」というのに収められました。
日本語の作詞は当時の東京師範学校の
稲垣千頴(いながきちかい)さんによって行われました。

原曲は友達との別れを描いたものなのに
どうして「蛍の光」はこういう歌詞になったのでしょうか?

それは、当時の音楽教育が関係しています。
明治時代から始まった音楽教育は、
伝統的な日本音楽を捨てて西洋音楽を採用しました。
その西洋の唱歌に日本の歌詞をつけるとき、
教育的な歌詞が求められたために、稲垣千頴さんのような
国文学者の先生が歌詞をつけていたのだそうです。

現在、この「蛍の光」という曲は
2番までしか歌われていませんけれども、
もともとは4番まで歌詞があります。
その3番と4番の歌詞は軍国主義を意識させる内容のため、
第2次世界大戦が終わってからは歌われなくなりました。

「まぁ、歌詞の内容はともかくとして
 この『蛍の光』の曲調っていうのは
 ほんとに心寂しい気持ちになりますね。」

<「蛍の光」について(ウィキペディア)>

<「蛍の光」のメロディーを聴いてみる>

[3/2] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「よくお雛様を片付けるのが遅れると結婚が遅くなる
 っていうふうに言われてますよね。
 でも、これには特別に根拠はないんだそうですよ。」

 ~ ↓ 歌が流れてきます ~

 ♪
 あかりをつけましょぼんぼりに~
 おはなをあげましょもものはな~
 ごにんばやしのふえたいこ~
 きょうはたのしいひなまつり~

 <こんなメロディーです>

雛祭りといえばおなじみの歌ですけれども、
みなさんこの曲の題名ご存知ですか?

なんとなく「雛祭り」じゃないの?
とか思ったりしますけれども、
意外とみなさんご存じない方が多いそうです。

正解は・・・「うれしいひなまつり」
というタイトルなんだそうです。
作詞は詩人のサトウハチローさんです。

実は、サトウハチローさんは奥様と離婚された後
3人のお子さんを引き取られて、
どんな理由があるにしてもお子さんにとって
お母さんと離れ離れになるのは寂しいということで、
それで少しでも寂しさを紛らわせて欲しいという思いから、
サトウハチローさんはお子さんのために
当時としてはちょっと贅沢な雛人形を買いました。
そして、この歌を作詞されたのだそうです。

この「うれしいひなまつり」なんですけれども、
楽譜によっては同じ詞なのに作詞者の名前が
「山野三郎」と書かれていることがあるそうです。
これはサトウハチローさんのペンネームで、
同一人物なのでビックリしないでくださいね(笑)

この「うれしいひなまつり」の他にも
雛祭りに関する歌はいろいろありまして、
「ひなまつりの歌」という歌とか、
全部ひらがなで「ひなまつり」という歌とか、
逆に全部漢字で「雛祭」という、そんな曲もあるそうです。
みなさんご存知でしたか?

「私はあいにく『うれしいひなまつり』しか
 知らないんですけれども、
 最近ではこうした昔の文部省唱歌を集めた
 CDなんかも出ているそうですので、
 機会があったらぜひいろんな雛祭りソングを
 聴き比べてみてください。」

そして、今週最後の杏樹さんからのお言葉。

「小さいお子さんがいらっしゃるご家庭だけじゃなくてね、
 結婚前の娘さんがいらっしゃるご家庭でもね、
 ぜひ眠らせている雛飾りがあったら
 ちょっとたまには出してみて、
 なんかこう雛祭りをお祝いしてみるのもどうかななんて
 ちょっと思ったんですけれども
 いかがでしょうか?
 どうぞみなさん楽しい雛祭りをお過ごしください。」

いよいよ明日は雛祭り! \(^o^)/

[3/1] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「3月3日の雛祭りは桃の節句とも言います。
 古くから桃の花には災いなどを払う力がある
 というふうに言われていて、
 桃の木で作った弓矢は鬼を払うのに
 使われていたんだそうですよ。
 そんなわけで、今日は桃の節句のお話をします。」

女の子が生まれてはじめて迎える節句が初節句。
昔はお雛様は赤ちゃんの母方の実家から贈られるものでした。
そのときに家でお雛様をお迎えするのが市松人形。

この市松人形というのは衣装の着せ替えができる
日本の伝統的なお人形さんで、
だいたい40cmくらいで手足が動くものだそうです。

この市松人形は赤ちゃんの父方の実家から
贈られるものだったんですけれども、
最近はスポンサーはおじいちゃんおばあちゃんで
雛人形のセレクトは赤ちゃんの両親、
ママとパパにあるんだそうです。

今でも市松人形を用意してお雛様をお迎えする
というご家庭はあるのでしょうか。

桃の節句にははまぐりのうしお汁が欠かせませんけれども、
これにもちゃんとした理由があります。

はまぐりは対になっている貝殻を一度外してしまうと
他のどのはまぐりとも合いません。
昔から仲良き夫婦の象徴だったので
婚礼の披露宴などでははまぐりのうしお汁が出されました。

桃の節句に出されるうしお汁には
将来素敵な男性に巡り合えて、
そして幸せになりますように
という願いが込められているそうです。

白酒は体から邪気を払い体を清めるためのものだとされています。
そして、ひしもちは人の心臓を意味していて、
赤ちゃんの健康を願う親の気持ちの表れでもあるそうです。

ひしもちの白いところは雪の大地、
桃色は生命、緑色は木々の芽吹きを象徴していて、
この三色のお菓子を食べることで
自然のエネルギーを授かって健やかに成長できる
という意味が込められているんだそうです。

「なるほどお雛様というのはおじいちゃんおばあちゃんから
 贈られるものだったんですね。
 私は自分で買う気マンマンでしたけれども(笑)
 今年初節句を迎えるご家族のみなさんは
 幸せな女の子になるように願いを込めて
 お迎えしてください。」


<桃の節句の由来>

↓ こんなの見つけました。 (^o^)/

<雛人形を作ってみよう!>

[2/28] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「同じ雛人形でも、お家の中に飾るものと
 川や海に流すものがあります。
 いわゆる流し雛と言われているものなんですけれども、
 今日はそのお話をしたいと思います。」

雛祭りはもともと3月3日の節句の行事ですけれども、
その昔、人の形をした紙の人形で体をなでて、
それを川に流すことで厄払いをしていたそうです。
自分の身代わりの人形がすべての厄とか災いを
背負ってくれるというわけなんですね。

この流し雛の風習が宮廷での人形遊び、
ひいな遊びへと発展して雛祭りになりました。
つまり、流し雛が先にあった風習だったんですね。
今では女の子が生まれたら無事に大きく育つことを願って
小さな人形を飾るお祭りになりました。

今でも全国各地に流し雛の風習が残っており、
東京でも1986年から「江戸流し雛」
というのが始まったそうです。

お願い事を託されたお人形さんが隅田川を
ゆっくり流れていく景色というのは
江戸の情緒たっぷりなんだそうです。
今年は2月25日に行われたそうです

このときに使われる雛人形というのは
水に溶ける性質を持っていて、
特殊な素材でできているんだそうです。
とはいえ、やはりちゃんと回収はするそうです。

京都では毎年春の訪れとともに3月3日の桃の節句に
下鴨神社の境内を流れるみたらし川というところで
その流し雛の行事を行うそうです。

和紙で作った着物を着た人形に
願い事をこめて流すそうなんですけれども、
こちらは下流付近でちゃんと網ですくって回収するそうです。

「私は流し雛を見たことないんですけれども、
 ぜひ見てみたいって思いますよね。
 よく嫌なことがあったときとかにね、
 水に流すって言葉がありますけれども、
 昔から日本では災いなどを水に流すっていうことで
 この水に流すっていう言葉があるそうですよ。
 ねぇ、勉強になりますね~」

はい、勉強になりま~す! (^o^)/

<各地の流し雛についてはこちらをご覧ください>

[2/27] 『鈴木杏樹のいってらっしゃい』

「時代とともに雛飾りもどんどん豪華になっています。
 一番上の段にお内裏様とお雛様がいるのは
 もう皆さんご存知だと思いますけれども、
 それ以外の段に何が飾られているのかと聞かれると
 すぐにパッと浮かんでこない方も多いのではないでしょうか?
 そんなわけで今日はですね、
 雛人形のお飾りのお話をしたいと思います。」

まずは主役のお二人から。
歌では「♪お内裏様とお雛様」という歌詞ですが、
正式にはお内裏様は男雛(おびな)、
お雛様は女雛(めびな)と呼ぶそうです。

一番上の段には男雛と女雛が並んでいますが、
向かって左側にいるのが男雛、そして右側が女雛です。

二段目には三人官女が座ります。
この三人官女というのは、男雛と女雛の
身の回りの世話をする人たちのことを言います。

三段目は五人囃子(ごにんばやし)。
五人囃子は歌に出てくるのでイメージがわきますね。

四段目は随身(ずいしん)といって、
貴族など位の高い人が外出をしたときに付き添う人のことで、
向かって右側が左大臣、そして左側が右大臣
というように並びます。
左大臣はお年を召している方、逆に右大臣は若者なのだそうで、
よく見たらそういうお顔をしているのではないでしょうか?

五段目には仕丁(しちょう)が並びます。
この仕丁というのは宮廷で雑務をする人たちのことです。
この仕丁は3人います。
左側から泣いている顔、笑っている顔、怒っている顔
をしている3人が並んでいます。
よく泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸とか聞きますよね。
その仕丁の隣には、向かって左側に橘(たちばな)、
向かって右側には桜の木があります。

六段目には食器とか、お茶の道具とか、
タンスとかお化粧道具とかが並び、
七段目には御駕籠(おかご)とか
御所車(ごしょぐるま)を置くそうです。

「こうしてね、改めて頭の中を整理してみると
 なるほどそうだったかもしれないという感じがしますよね。
 昔、雛壇って見かけるとほんとに楽しくて
 ワクワクしたものですけれども
 最近はやっぱりお家の関係でね、
 七段飾りとかは難しいかもしれませんけれども、
 もしコンパクトな七段飾りとかがあると
 ぜひ買ってあげたいと思いますよね。
 私もそう思います、女の子がもし生まれたら(笑)」


余談ですけど、
私は男なので雛飾りの知識がほとんどなくて、
用語とか調べるのがたいへんでした・・・ (^_^;)

でもほんと、いろいろと勉強になりました。 (^o^)/


<雛人形の飾り方~七段飾り編~(人形の久宝堂さんのHP)>

<雛人形の飾り方(真多呂人形さんのHP)>

鈴木杏樹さんのファンブログです (公式ブログではありません)